|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 青 : [あお] (n) 1. blue 2. green 3. green light ・ 青木 : [あおき] (n) 1. Japanese laurel 2. spotted laurel 3. aucuba japonica 4. live tree ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal) ・ 二 : [に] 1. (num) two
青木 雄二(あおき ゆうじ、1945年6月9日〔青木若代 夫・青木雄二―ナニワの異端漫画家の真実 廣済堂出版 ISBN 978-4331510605 18頁〕 - 2003年9月5日〔卒業生の活躍 漫画家・エッセイスト「青木雄二」 津山工業高等学校HP内同窓会ページ内コンテンツ 2010年9月3日閲覧〕)は、日本の漫画家・エッセイスト。京都府加佐郡大江町(現・福知山市)生まれ。岡山県久米郡久米南町出身〔日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月、ISBN 9784816917608)P6〕。 == 来歴 == 1964年、岡山県立津山工業高等学校土木科を卒業〔。在学中は野球部に所属し、ポジションはキャッチャーだった(同校の後輩にはプロ野球選手の高橋信二がいる)〔ボクの人生道―学歴社会が気にいらんのや(1996年9月、ISBN 9784894280830)〕。卒業後は兵庫県神戸市の山陽電気鉄道に入社〔。 1969年、当時の山陽電気鉄道は学歴を重視する方針だったことに不満を感じ〔、入社からわずか5年で同社を退社。地元岡山県に戻り久米南町役場の職員になるが、結局田舎での生活に嫌気がさし〔、3ヶ月で退職〔。大阪に出てビア・ホールでアルバイトを始める。その後はパチンコ店の店員やキャバレーのボーイ等の水商売を中心に約30種類以上の職を転々とした〔。この経験が漫画を描く上で大いに参考になったという。本人によると一番楽だった仕事は公務員で、肉体的に一番キツかったのがパチンコ屋、精神的に一番キツかったのが漫画家だったとのことである〔本人単行本『ナニワ金融道』19巻あとがきなど。〕。当時のパチンコ店内は大音量のBGMが流れ、タバコを吸う客が多く店内の空気が非常に悪かったため、パチンコ店の店員は大変だったと語っている。 1995年、19歳年下の女性と結婚。妻とは行きつけの喫茶店で知り合い、男児をもうけている。ちなみに青木自身は50回以上の見合いを経験した〔〔僕が最後に言い残したかったこと(2003年10月、ISBN 9784093713733)〕。 1997年3月、『ナニワ金融道』の売上が1000万部を突破し、「一生暮らせるだけの金は稼いだ、残りの人生は遊んで暮らす」と宣言。漫画執筆活動を引退し、余生を自由気ままに過ごす予定だったが、活字の執筆や公演依頼が多く、それなりに忙しかった。その模様をTBS・JNN報道特集に「ナニワ金融道 青木雄二の素顔」として密着取材され、青木の数少ない映像記録となった。 2003年9月5日、肺癌のため死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青木雄二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|