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青松 敬鎔(あおまつ けいよう、1986年12月7日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手・捕手)。2015年9月11日より、登録名を青松 慶侑(読み同じ)としている。 == 来歴・人物 == 京都府京都市伏見区出身。2004年ドラフト7巡目で千葉ロッテマリーンズに入団した。福岡ダイエーホークス時代に城島健司を指導した古賀英彦二軍ヘッドコーチ(当時)からは「城島をしのぐセンスの持ち主」と評されている。デビュー年の2005年は一軍出場はなかった。 ;2006年 2月に行われたWBC日本代表との試合では一塁を守った。二軍では一塁手31試合・捕手16試合を守り打率.257、4本塁打の成績を残し、9月19日に初めて一軍登録された。オフには9年ぶりに開催されたハワイ・ウィンターリーグに派遣され、息子の応援に来ていたロジャー・クレメンスの球をブルペンで受ける幸運もあった。 ;2007年 二軍で一塁手26試合・捕手23試合を守ったが打率.159と絶不調で、一軍出場はなかった。 ;2008年 二軍で打率.252、8本塁打と復調し、守備でも捕手33試合、一塁手13試合、三塁手1試合で無失策と安定感を見せたが、支配下選手登録された捕手の中で唯一一軍出場がなかった。 ;2009年 打率.244、4本塁打と若干調子を落としてしまい、この年も一軍登録はなかった。 ;2010年 打撃が復調。当初は主に一塁を守っていたが、一軍正捕手の里崎智也の背筋痛で他の捕手が昇格したことや、金澤岳の故障によりシーズン終盤からは二軍の正捕手となり、ファームの日本一に貢献した。この年も一軍出場はなかった。 ;2013年 この年より球団から内野手として登録する事を発表された。イースタンリーグでは10本塁打を記録。サブローが7月31日に故障で離脱したことから、右の代打の切り札として7年ぶりに一軍昇格を果たし、翌8月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦でプロ入り初安打を記録。8月3日の対オリックス戦で6番、指名打者で初スタメンとなり、初の猛打賞となる3安打で、初のヒーローインタビューを受けている〔。 ;2014年 春季キャンプ中の2月、タレントの鷲巣あやのと2013年12月21日に婚姻届を提出していたことを発表した。3月26日のイースタン・リーグの日本ハム戦で審判員への侮辱行為で退場処分を受け、厳重注意と制裁金15万円の処分を受けた。 ;2015年 6月6日の対東京ヤクルトスワローズ1回戦の4回表に、石川雅規からプロ入り初ホームランとなる左越ソロホームランを放った。一軍ではこの他目立った活躍は無かったが、二軍のイースタン・リーグでは首位打者・本塁打王の二冠王となる活躍をみせた。9月11日より、登録名を青松 敬鎔から青松 慶侑へ変更した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青松敬鎔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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