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青柳信雄 : ミニ英和和英辞書
青柳信雄[あおやぎ のぶお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青柳 : [あおやぎ]
 (n) 1. trough shell 2. short-necked clam 3. skimmer, green willow
: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

青柳信雄 : ウィキペディア日本語版
青柳信雄[あおやぎ のぶお]
青柳 信雄(あおやぎ のぶお、1903年3月27日 - 1976年5月17日)は、日本の映画監督プロデューサー
==経歴==
明治36年(1903年)横浜市生まれ。明治大学を卒業後、心座、美術座、前進座、芸術座、猿之助一座、東宝劇団といった新劇の舞台演出を手がけていたが、昭和12年(1937年)、34歳の時に東宝へ制作者として入社。昭和15年(1940年)に演出部へ移り、第1回作品として当時人気のあった浪曲師広沢虎造主演の『虎造の荒神山』を撮る。戦後、東宝争議により新東宝が設立されるとともに制作者として移り、プロデューサーとして活躍する。昭和27年(1952年)に監督復帰、昭和29年(1954年)に再び東宝でメガホンを取るようになる。復帰作品は『落語長屋は花ざかり』で以降、『落語シリーズ』を手がける。シリーズものとしては他に江利チエミ主演の『サザエさん』がある。
早撮り監督といわれたが、それもプロデューサーで苦労した経験から会社の無理な要求にも応え、無理なスケジュールや予算でこなした結果といわれる。映画製作の能率向上、費用削減にも努め、映画音楽のダビング前のテープ録音の先鞭をつけた。こよなく焼き物を愛し、ロケ先で掘り出し物を見つけると後輩の黒澤明監督を電話で呼び出して二人で鑑賞したという。〔監督の横顔 №20 ゆたかな愛情と理性 青柳信雄監督(『東宝映画』1962年5月号 18ページ)〕
テレビ番組の制作プロダクションC.A.Lの初代社長である。
息子はプロデューサーの青柳哲郎である。また、実弟に守田家の養子となった八代目坂東三津五郎と実妹の光子の夫には二代目中村又五郎がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青柳信雄」の詳細全文を読む




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