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青柳 有美(あおやぎ ゆうび、1873年(明治6年)9月27日 - 1945年(昭和20年)7月10日)は、ジャーナリスト、随筆家、牧師。 == 略歴 == 秋田県秋田市手形本新町生まれ〔千葉三郎「青柳有美」『秋田大百科事典』(1981)pp.3-4〕。青柳為治・ヒサの長男〔。本名は猛。東京の共立学校で学んだのち、故郷の秋田英和学校のハリソンのバイブルクラスで英語を学び、1887年(明治11年)C・E・ガルストより洗礼を受けてキリスト教に入信した〔1884年(明治17年)、米国基督教会(ディサイプルス)のスミス宣教師夫妻・ガルスト宣教師夫妻が秋田を訪れ、伝道活動を開始した。1885年(明治18年)頃には英語教育を目的とした秋田英和学校を現在の秋田市中通2丁目に設立し、1889年(明治22年)にはディサイプルス派による日本で最初の教会「秋田基督教会」を設立している。また、1906年(明治39年)には秋田幼稚園を開設した。 奥山順子「秋田県の幼稚園創設期におけるキリスト教会の役割一初期幼稚園にみる貴族性と養護性を中心に一」『秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 61』pp.71-81,2006 〕。1894年(明治27年)、同志社普通学校の文学政治経済学科を卒業した。1895年(明治28年)、明治女学院で教えながら、関口教会で牧師をする〔。明治女学院では島崎藤村と同職した〔。一方では1893年(明治26年)から明治女学院教頭の巌本善治に協力して『女学雑誌』の発刊にかかわり、編集を担当した〔。1903年(明治36年)には主幹となっている。 その後、一時帰郷して大館中学校、秋田中学校を教鞭をとったが、再び上京し文筆生活に入った〔。 大正期には実業之世界社の編集者となり、『女の世界』を発行した。女性問題、性、恋愛問題についての著作が多い。 職業の転変がいちじるしく、上に掲げたほか、たばこ屋、扶桑新聞記者、名古屋日報の主筆、東邦電力勤務などを経て、晩年は宝塚歌劇学校の教師であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青柳有美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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