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青柳 進(あおやぎ すすむ、1968年7月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(捕手)。 == 来歴・人物 == 福岡県久留米市出身。1984年西日本短期大学附属高等学校へ入学。同校硬式野球部には後にプロ入りする選手として同学年に後藤将和、1学年後輩に石貫宏臣・柴原浩が在籍していた。1986年夏の甲子園大会に出場。1986年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名を受け入団。当時チームには袴田英利が正捕手として君臨していた為、なかなか一軍昇格の機会がなかった。1990年頃から正捕手を務めるようになる。1992年4月には打率.397、2本塁打、11打点の好成績を残し月間MVPを初受賞する。しかし、レギュラーを取った1992年の盗塁阻止率が.186と守備面で課題があり、その間に強肩が持ち味の定詰雅彦等若手捕手が急成長を見せスタメン出場も減り、最終的には正捕手の座を奪われてしまった。 1995年にヤクルトスワローズに移籍。そこでも古田敦也が不動の正捕手であったため正捕手の座は奪えず、青柳が守備に就くときと言えば、古田に万一の事態が起こった場合だけに等しかった。そんな中、自ら肩力の衰えを感じ、守備にも不安があることから、代打業に専念することを決意。1997年にチームはリーグ優勝、そして日本シリーズで日本一を飾り、青柳も代打など陰から貢献した。しかし、日本シリーズには縁がなく、1995年の日本シリーズでは第3戦で代打で登場するも代打の代打を送られ、1997年・2001年もチームは日本シリーズに進んだが結局現役引退まで日本シリーズの出場はそれだけに終わった。1995年のシリーズに関してはスポーツニュースでも悲劇の選手として採り上げられ、その点を指摘された野村克也監督は「お前も戦力や」と説得して青柳を交替させたという。 ヤクルトで代打要員となってからは、代打成功率は4割以上をマーク。いつしか「代打の切り札」と呼ばれるまでになった。また、左右どちらにも打ち返す技術を身につけ、普段選手をあまり褒めることの無い野村克也監督が「青柳は天才だ」とまで言わしめた程である。 その後も陰からチームを支え、2002年に現役を引退、現在は親会社のヤクルト本社で営業職を務めている〔再就職の花田投手・・・・ 〕。2015年10月現在は直販営業部の課長〔「ヤクルトスワローズにはなぜアンチがいないのか? ~みんなに愛される不思議なチームの謎に迫る」週刊現代 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青柳進」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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