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青池 保子(あおいけ やすこ、1948年7月24日〔日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月、ISBN 9784816917608)P5〕 - )は、日本の女性漫画家。山口県下関市出身〔。『エロイカより愛をこめて』、『アルカサル-王城-』など少女漫画の枠を超えた硬派の作品で知られる。 == 略歴 == 1960年(昭和35年)、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を姉と二人で訪問。その人柄に感銘し、大きな刺激を受ける。 1961年(昭和36年)、一念発起し、ファンタジーものの漫画を描き始める。とくにプロ志向があったわけでもなく、ただ敬愛する水野英子に観てもらいたい一心だったという。 1962年(昭和37年)、中学三年生のこの年に、前年から一年がかりで書きあげた60頁ほどのファンタジー漫画を、水野英子宛てに送る。しばらくして、集英社の『りぼん』編集部から「水野先生から作品を見せてもらいました、お正月号用に短編を描いてください」と手紙が届いた。青池はこの依頼に応え、日本人孤児とフランス人少女の交流を描いた15頁の短編『さよならナネット』を描き上げる。 1963年(昭和38年)、『りぼん』お正月増刊号に『さよならナネット』が掲載され、15歳でプロデビュー〔。デビュー作の評価は芳しくなく、『りぼん』とはこれきりとなる。 1964年(昭和39年)、デビュー作を見た講談社から『第一回少年少女漫画賞』への作品応募を誘われる。青池は興味のあったイタリアを舞台に採り、イタリア人画家とモデルの恋愛漫画(24頁)を描き上げ、これに応募。最終審査に残った〔この『第一回少年少女漫画賞』の「少女マンガ部門」受賞者は里中満智子だった〕。 以後、「高校一年のおねえさん漫画家」のキャッチフレーズで、『週刊少女フレンド』で活躍。講談社との専属は、以後10年間続き、『なかよし』などにも作品を発表。 1976年(昭和51年)、日本を舞台にした学園ものにスランプを感じ、心機一転して海外を舞台とし、大好きなロック歌手達をキャラクター・モデルにした『イブの息子たち』を『月刊プリンセス』(秋田書店)で連載開始。それまでのシリアスな作風とは一変した、さまざまな歴史上の人物が入り混じる、知的パロディカルなコメディ作品に新境地を開く。 これをきっかけに、伝統的な少女マンガの範疇から大きく離れた題材にて魅力的な作品を次々と発表していく。 同年、『イブの息子たち』と平行して『月刊プリンセス』誌上で『エロイカより愛をこめて』を連載開始。この作品は当初、美術品専門の泥棒の伯爵と超能力者3人組を主人公としたドタバタ喜劇であったが、脇役として登場した北大西洋条約機構(NATO)軍情報部少佐の強烈な個性が人気を集め、ついには主役のはずだった超能力者3人組を押しのけて主人公となり、伯爵と少佐を中心としたシリアスでかつコミカルなスパイものに変貌してしまった。 この『エロイカより愛をこめて』は青池の作風をも変え、男たちの戦いをテーマとした硬派な物語が以降の青池作品の基調となっていく。 1991年(平成3年)、『アルカサル-王城-』で第20回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。 2007年(平成19年)、自身の作品『エル・アルコン-鷹-』と『七つの海七つの空』が齋藤吉正に脚本化され、宝塚歌劇団の星組によりミュージカル化される事が決定。 またこの年2月に、10年間連載が中断されていた『アルカサル-王城-』が月刊少女漫画雑誌、『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)3+4月号に前後編として掲載され、完結した。 2016年、「プリンセスGOLD」1月号より『修道士ファルコ』で活躍した兄弟オドの出家前の市警時代を描く『ケルン市警オド』の連載を開始した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青池保子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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