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青狼 武士(せいろう たけし、1988年8月18日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身(2015年7月場所以降の公称出身地はボルガン県)で、錣山部屋所属の現役大相撲力士。本名はアムガー・ウヌボルド(モンゴル語キリル文字表記:)。身長186cm、体重142kg。最高位は東前頭15枚目(2015年7月場所)。 == 来歴 == 父親はブフ(モンゴル相撲)の元関脇である。横綱朝青龍〔因みに青狼は朝青龍そっくりの容姿をしており、「“弟です”と言うと、みんな信じる」とのことである。 :朝青龍そっくり!青狼、十両昇進を決定的に Sponichi Annex 2013年5月22日 06:00 〕がその素質を見込み、錣山親方(元関脇・寺尾)がモンゴルまで足を運んでスカウトした。2005年7月場所で初土俵を踏んでから幕下へ昇進する頃までは体重が100kgにも満たない軽量であり、「日本に来た時は2年で関取に上がれると思っていた。」という当初の自信とは裏腹に序二段通過に10場所を要した。だが、本人曰く「死んだ父親そっくりで生前の頃の怖さを思い出す」という印象の師匠〔青狼「2年で上がれると思っていた」目標は鶴竜 SANSPO.COM 2013.5.29 19:15〕や人格者で知られる兄弟子・豊真将に支えられ、その後の長い取的生活を乗り切った。苦しい若手時期には増量のために敢えて肉ばかり食べるなど出世の方法を模索していた。2007年5月場所から体重の増加に合わさるように5場所連続で勝ち越したことによって2008年3月場所で幕下昇進を果たした。その後は網膜剥離の手術を受けるなど負傷による苦労もあったが〔朝稽古取材スタート!「寺尾」復活のあの部屋から 中日新聞+ 2013/6/27〕、2009年5月場所で三段目優勝をし、それ以降も少しずつ番付を上げていった。2010年7月場所以降は幕下に定着し、2012年11月場所では関取目前の幕下5枚目以内の番付に昇格。場所前には横綱白鵬のいる宮城野部屋へと出稽古に行き、白鵬の熱心な指導を受けたが、幕下上位の壁に跳ね返されて負け越した〔白鵬 モンゴルの後輩・青狼に胸出す スポニチアネックス 2012年11月6日(2013年5月3日閲覧)〕。2013年5月場所は東幕下筆頭の番付におり、豊真将に続く錣山部屋2人目の関取へという期待が高まってきた。その5月場所は3番相撲で祥鳳の立ち合い変化に敗れてこの時点で黒星が先行するなど苦戦したものの、6番相撲で勝ち越しを決め、翌7月場所での関取昇進を決めた。新十両でいきなり東十両9枚目と高い番付になった翌7月場所では、13日目に勝ち越しを決めて9勝6敗となった。自己最高位を東十両7枚目まで更新した翌9月場所は4勝11敗、その次の11月場所は東十両12枚目で6勝9敗であり、番付運に助けられながら幕下陥落に近づいていった。2014年1月場所は十両尻の西十両14枚目と幕下陥落まで後のない地位に置かれた。この場所では初日に白星を上げた直後に2日目から6日目まで5連敗するなど序盤に乱調の様子を見せていたが7日目から13日目まで7連勝として勝ち越しを果たし、千秋楽を8勝7敗で終える。翌3月場所は10日目まで6勝4敗と白星が先行していたがそれ以降千秋楽まで5連敗して場所を6勝9敗で終える。5月場所は絶好調であり、14日目を終えて10勝4敗。千秋楽に勝ったほうが優勝決定戦進出という4敗同士の取組も制して4人による十両優勝決定トーナメントに進出したが、惜しくも1回戦で敗退した。それでも続く7月場所では自己最高位を東十両5枚目まで更新した。西十両10枚目で迎えた9月場所は9勝6敗の勝ち越しに終わり、翌11月場所は西十両3枚目まで自己最高位を更新した。2015年7月場所にて新入幕。錣山部屋からの新入幕は豊真将以来2人目。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青狼武士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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