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青義軍 : ミニ英和和英辞書
青義軍[せいぎぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
義軍 : [ぎぐん]
 (n) righteous army
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

青義軍 : ウィキペディア日本語版
青義軍[せいぎぐん]
青義軍せいぎぐん)とは、新日本プロレスユニットである。
== 概要 ==
2009年9月、永田裕志ヒール軍団に反し「青き正義BlueJustice)」の名を元に結成、井上亘平澤光秀も自分達に活を入れるべく結束、参謀としてスーパー・ストロング・マシンも加わった。
ベビーフェイスのユニットの為、新日本本隊とは分け隔てなく共闘している。
2010年にキング・ファレも井上らと同様の心境で加入。また、同年8月以降、CHAOS飯塚高史に幾度となく襲撃を受けたアナウンサーの野上慎平が「野上“ジャスティス”慎平」という名前で研修生として加入。同じく飯塚と因縁がある天山広吉が2011年2月から同年12月にかけてサポートメンバーとして共闘していた。
永田と親交がある、K-1ファイターの佐藤嘉洋も、触発されK-1 MAX 青義軍を同時期に結成しており、2011年3月19日には、プロレス(青義軍)のセコンドに初めて付いた。
2011年6月18日にプエルトリコ遠征から帰国した「平澤光秀」改め「ヒデオ・サイトー」が試合に勝利した直後の永田を襲撃し、青義軍の対抗勢力となっているCHAOSに転身。同年9月にかけて永田とヒデオの因縁闘争へと発展した。その後、ヒデオは12月にCHAOSを追放され「キャプテン・ニュージャパン」として本隊選手となったため、抗争は終局。
一方、井上は同年8月のG1 CLIMAXをきっかけに鈴木みのるとの抗争を展開する。
2012年1月の東京ドームで、全日本プロレス船木誠勝率いる「STACK OF ARMS」と激突し、永田が船木を長期欠場に追い込んだ事で他団体抗争へと発展。時同じくして、新日本のリングでは鈴木みのる率いる侵略軍団「鈴木軍」との抗争にも本格介入する事となった。
2013年4月16日、井上の長期離脱によって常時参戦しているメンバーが永田のみとなり、東京スポーツのインタビューで青義軍の解散を発表したが2013年6月23日のノアの大会のインタビューでまだ二人いると発言。
マイバッハ谷口の人格を元に戻すと表明した。
2013年後期から永田は桜庭和志とタッグを組むことが多くなっているが、入場時には青義軍Tシャツを着ていることから存続はしている模様。
2014年4月2日に行われた井上亘引退記念大会では永田、マシン、キャプテンが青義軍タッグを組み、井上は「試合ができる状態なら引退しない」ということでセコンドについた。試合では相手の鈴木軍(鈴木、TAKAみちのく、タイチ)による井上への攻撃が繰り返された。試合後には井上がタイチにニーリフトを放った。また、引退セレモニーでは青義軍としてキャプテン、マシン、永田、野上が花束を贈呈した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青義軍」の詳細全文を読む




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