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青葉城恋唄 : ミニ英和和英辞書
青葉城恋唄[あおばじょうこいうた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青葉 : [あおば]
 (n) 1. fresh leaves, 2. a newly-married woman
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [こい]
  1. (n,vs) love 2. tender passion 
: [うた]
  1. (oK) (n,n-suf) song 

青葉城恋唄 : ウィキペディア日本語版
青葉城恋唄[あおばじょうこいうた]

青葉城恋唄」(あおばじょうこいうた)は、仙台城(青葉城)の城下町を基礎に発展した宮城県仙台市の風景を用いた、星間船一による失恋の叙情詩で、さとう宗幸によってイ長調の曲が付けられ歌謡曲となった。
1978年昭和53年)5月5日にさとう宗幸のデビュー曲としてシングル発売され、同年6月1日ダークダックスもシングル発売した。仙台のご当地ソングとみなされており、歌詞にある仙台の雅称「杜の都」を広めた。
== 概要 ==
1977年(昭和52年)4月からNHK-FM仙台「FMリクエストアワー」のDJとなったさとうは、同ラジオ番組内のコーナーでリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌をつくっていた。同年6月、リスナーだった星間が寄せた詩をもとに、さとうが編詩をし〔「杜の都」の部分は、星間の原詞では「青葉城仙台」となっていた。また「季節(とき)はめぐり」の部分について、レコード初版時は「時はめぐり」としていたのを、阿久悠の助言により「季節」に「とき」と読ませる歌詞に変更している。〕、当曲が誕生した。
当曲は仙台のFMで繰り返し流され、地元宮城県ではさとう宗幸の曲として定着していった〔「うたの旅人 『地方の時代』が追い風に 青葉城恋唄」朝日新聞 be on Saturday 2008年5月31日、p.10。〕〔初回放送:2009年8月28日「青葉城恋唄」 BS朝日「うたの旅人」)〕。その頃、当曲はデモテープに入れられてキングレコード東京都)に持ち込まれ、ディレクター(当時)の赤間剛勝(仙台出身)が気に入るところとなり、レコーディングされることになった〔。地元で人気とは言え全国的には無名のさとうを宣伝費をかけずに売り出す手法として赤間は、長年キングレコードの専属で当時ポリドールへ移籍していた有名コーラス・グループダークダックスと競作させることにした〔〔。
1978年(昭和53年)5月5日にさとう、6月1日にダークダックスと、約1ヶ月遅れて発売されたにも関わらず、当初はダークダックスの方が売上が多かった〔(社団法人仙台青年会議所 広報誌 2009年4月)〕。6月12日宮城県沖地震が発生すると、復興の意をこめてさとうが生中継で歌い上げたり、半年前に完成したばかりの国鉄(現JR東日本仙台駅(現駅舎)でも特急列車が到着する度に流されたりされるようになる〔前年6月時点で特急は下りだけでも仙台駅に一日あたり24本停車した。同年の大晦日には当曲が一日中流された。〕〔語っていいとも! 第11回ゲスト・さとう宗幸「仙八先生の教え子たちが還暦祝いをしてくれて。これもドラマチックなんです」 週プレNEWS 2015年10月4日)〕〔(東北大学鉄道研究会)〕など、さとうの歌う当曲も全国へ発信されるようになった。キングレコードもさとうをプッシュすることにし、仙台七夕花火祭8月5日)の西公園ステージでは、当曲を歌うことになっていたダークダックスに対抗し、浴衣を着た宮城学院女子大学生約10人が並ぶ前でさとうが当曲を歌い上げる演出を行った〔。そして、仙台七夕まつり(毎年8月6日7日8日開催)頃から売上が逆転した〔〔。
当時は「地方の時代」という言葉が流行語だった〔が、東京から東北本線特急利用でも4時間以上かかる仙台〔1978年(昭和53年)当時の東京と仙台との間の移動は、高額な運賃を払って東京国際空港(羽田)~仙台空港の定期航空便(1982年の東北新幹線開業から3年後の1985年に廃止)に乗るか、最速達電車でも上野~仙台間が約4時間かかる東北本線に乗るか、岩槻IC築館ICで開通していた東北自動車道東北縦貫自動車道)を高速バスやマイカーで移動する必要があった。〕(現在は東北新幹線で最速90分〔(東日本旅客鉄道 2013年12月20日)〕)から発信された当曲は「地方発の歌」の代表的存在として多くのメディアに紹介され〔、全国的にも「青葉城恋唄」はさとうの曲として定着した。そのため当曲でさとうはこの年の第20回日本レコード大賞・新人賞、第7回FNS歌謡祭・最優秀新人賞にも選ばれ、さらに『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした。最終的な売上はさとう宗幸110万枚〔喜早哲『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』、新潮社、2007年、158頁。ISBN 9784103048510〕、ダークダックス30万枚〔喜早哲、前掲書161頁。〕となり、ダークダックスとしてはヒットし損ねた形になったが、当曲がきっかけとなり、ダークダックスのマンガさんこと佐々木行と、さとう宗幸が親類(はとこ)にあたることがわかった。
さとうが「青葉城恋唄」を発売してから約3ヶ月半後の8月21日には倍賞千恵子にカバーされ、倍賞のアルバムに収録されて発売された。さらに同年には秋庭豊とアローナイツ、翌1979年(昭和54年)には新沼謙治大屋政子石川さゆり八代亜紀森昌子フランク永井五木ひろしと、男性歌手・女性歌手問わず次々カバーされた。また、1979年には香港広東語バージョンが、1980年には台湾(台湾)国語バージョンが発売されるなど、中華圏でも早い内から次々カバーされた。所ジョージが本作と同じコード進行を用いて「西武園恋唄」というパロディソング(コミックソング)を作ったこともある。その後も数々のアーティストにカバーされ、さとうのフォークソング、ダークダックスの合唱曲とは曲調が異なるムード歌謡演歌R&Bテクノポップジャズヒーリング・ミュージックイージーリスニングボサノヴァ〔録音・発売されていないが、元劇団四季所属のミュージカル女優・木村花代が、ボサノヴァ風アレンジの青葉城恋唄をコンサートで歌っている。〕などにアレンジされた楽曲も生まれた。このような過程で当曲は、さとうやダークダックスのファン以外にも浸透していくことになった。さとう自身も当曲を何度もシングルで再発売し、「さとう宗幸全曲集」や「青春歌年鑑」など複数のアルバムにも収録しており、現在では懐メロの定番ソングとなっている。
仙台で活躍していたシンガーソングライター・さとうは当曲により全国区になり、TBSテレビ桜中学シリーズドラマ『2年B組仙八先生』(1981年 - 1982年)で主役の伊達仙八郎を演じ、政宗ブームを生んだNHK大河ドラマ独眼竜政宗』(1987年)で支倉常長を演じるなど、俳優としても活躍することになった。1990年代以降、全国的にカラオケボックスが広がるが、当曲のカラオケビデオでは、俳優経験があるさとう自身が出演している。
地元の宮城県では、仙台七夕まつり期間になると、祭り会場のアーケード街などで、島倉千代子の「七夕おどり」や「ミス仙台」と共に当曲が繰り返し流されている。また、JR仙台駅の仙石線を除く在来線(1~8番線)、および、JR仙石線・あおば通駅(1~2番線)で使用されている発車メロディのモチーフともなった。プロ野球再編問題の結果、仙台を本拠地として新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスでは、応援団が作成したチャンステーマのイントロ部分にも当曲が使用されている。その他、仙台市民・宮城県民または出身者のカラオケでの定番曲となっており、県民歌・市民歌のように扱われ歌われている〔宮城県出身で横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズシアトル・マリナーズで投手として活躍した佐々木主浩もカラオケ十八番にしていた。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青葉城恋唄」の詳細全文を読む




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