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青葉神社(あおばじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区青葉町にある神社である。旧社格は県社。1874年に創建され、武振彦命(たけふるひこのみこと、仙台藩祖伊達政宗の神号)を祀る。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。 == 歴史 == 1873年(明治6年)10月14日、旧藩士の松本喜蔵、丹野彦三郎・小泉長善を総代とした住民が、伊達政宗を祀る神社を建設する許可を宮城県に願い出た。松本らの言うところでは、天保の初年(1831年頃)、政宗を祀る神社を建てる許しを当時の藩主伊達斉邦が朝廷から得た。仁孝天皇の勅額をもって、城に近い亀岡に社を築く計画だったが、なぜか中止になった。今、士民は貞山講という講を結び、忌日ごとに廟(瑞鳳殿)に集まり酒餞を供している。朝廷が許容してくれれば神明社(現在の桜岡大神宮)の隣に社壇を設け神祭したいという。宮城県は意見を付けずに教部省にとりつぎ、教部省が賛成して、12月22日に太政官が建設を許可した〔」(左はデジタルアーカイブの項目名。原文に照らし、正は政、官は宮の誤り。入力ミスか)、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第260巻、11。〕。この年には徳川家康を祀る日光東照宮が別格官幣社に認められており、諸藩の藩祖を祀る神社の創建申請が翌年にかけて全国で相次いでいた〔岡田米夫「神宮・神社創建史」139頁。〕。 実際に神社が建てられたのは、仙台城下町を南北に貫いて北に向かう奥州街道(通町筋)が、北山丘陵にぶつかって東に向きを変えるところであり、すなわち、城下一の繁華街であった国分町から一直線に北に向かった突き当たりである。ここには伊達家の菩提寺で北山五山の中心の東昌寺があったが、東昌寺の敷地の西側3分の2が青葉神社に提供され、東昌寺の建物はその東側の満勝寺跡地寄りの現在地に移された。 1874年(明治7年)6月25日に県社に列格されたのを機に、同年7月1日より創営に着手〔青葉神社 (宮城県神社庁)。〕〔「同年1月に列格したのを機に現在地(北山)に遷座した」と以前の版には記載されている。〕。本殿・拝殿・神楽殿・社務所等を建設し、同年11月11日に落成、同年11月15日に鎮座祭を執り行った〔。 その後、1922年(大正11年)より社殿の改築を行い、1927年(昭和2年)に現在の社殿が完成した。 1930年(昭和15年)には別格官幣社に列してほしいという請願があり、貴族院の賛成議決を得たが、他の功臣を祀る神社との権衡がとれないという理由で内務省が反対し、実現しなかった〔「」、『公文雑纂』昭和15年、第62巻、10。PDFファイルの1-2頁、9-10頁。〕 2011年3月11日に起こった東日本大震災では、鳥居が倒壊する被害を受けた。 現在の宮司は、仙台藩家老・白石城主片倉家の16代当主である〔片倉小十郎景綱:白石城初代城主の銅像建立 遺徳たたえ復興一助に−−傑山寺 /宮城 (毎日新聞 2012年4月14日)〕。ゲーム『戦国BASARA』のヒットにより、登場キャラクターである片倉小十郎の子孫に会うことを目的に当社を訪れる女性(歴女)が増加している〔「政宗様、愛しています」 戦国武将が戦うゲームで若い女性のハート射止める 青葉城址や小十郎ゆかりの白石市も人気 (河北新報 2008年10月8日)〕。
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