|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 青 : [あお] (n) 1. blue 2. green 3. green light ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
青野 平義(あおの ひらよし、1912年8月2日 - 1974年12月8日)は、日本の俳優。本名は青野 元太郎。旧芸名に里村 元春、青野 太郎。 ==来歴・人物== 1912年(大正元年)8月2日、東京府東京市麻布区六本木(現在の東京都港区六本木)に生まれる〔キネマ旬報1979、p.5〕。生家は老舗和菓子屋「青野総本舗」で、店の人気商品「鶯もち」も「楽屋でも汚さず食べられる菓子を」と青野が提案したことで作られた〔麻布 青野の歴史 、青野総本舗HP、2015年10月31日閲覧〕。 慶応義塾商工部を中退後の1931年(昭和6年)、劇団自由舞台に入団し『どん底』で初舞台〔。その後、家業を継ぐが舞台への情熱が忘れられず、1938年(昭和13年)に文学座演劇研究所に第1期生として入所する〔。卒業後は里村元春の芸名で『若きハイデルベルヒ』『大寺学校』などに出演し、文学座の中堅俳優として活躍した。1963年(昭和38年)12月、喜びの琴事件を契機に三島由紀夫、矢代静一、賀原夏子、南美江、中村伸郎らとともに文学座を脱退、翌1964年(昭和39年)1月に劇団NLTを結成して社長に就任する〔。自宅は青野の没後までNLTの事務所として使われ、夫人の没後は青野平義記念館として賀原が受け継いだ〔青野平義 、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年10月31日閲覧〕。 1974年(昭和49年)12月8日、肝硬変のため東京都新宿区の社会保険中央総合病院で死去〔キネマ旬報1979、p.6〕〔『演劇年報』、中和出版、1975年、p.102〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青野平義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|