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ブルーバード映画(ブルーバードえいが、, 1916年1月1日 設立 - 1919年3月 合併消滅)は、かつて存在したアメリカ合衆国の映画製作会社である。わずか3年の間であるが製作した多くの映画が日本で公開され、米国での評価に比し、日本映画への影響が大きかったことで知られる〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.257-261.〕。日本では、当初ブルーバード写真劇合資会社(ブルーバードしゃしんげきごうしがいしゃ)と紹介され〔『ブルーバード映画の記録』、p.1.〕、青鳥映画(せいちょうえいが)とも呼ばれた〔人生の趣味 、キネマ旬報映画データベース、2010年3月31日閲覧。〕。 == 略歴・概要 == ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)は、ジェシー・L・ラスキーのジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニー(フェイマス・プレイヤー=ラスキー)、トライアングル・フィルム・コーポレーション、あるいはメトロ・ピクチャーズといった企業に比して「二流」であった〔が、日本市場を最初に開拓した企業となった〔。その中心的な役割を果たしたのが、日本で「ブルーバード映画」と呼ばれた作品群である〔。 ブルーバード映画はユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニーの子会社として、同社の幹部であったM・H・ホフマンが代表となって1916年(大正5年)1月1日に設立され〔、同年1月31日に米国内で、ロバート・Z・レナード監督の『暴』を封切ったのが最初の作品となったが〔Universal Film Manufacturing Company, Internet Movie Database, 2010年3月31日閲覧。〕、同作が日本で公開されたのは同年10月30日、日本公開第17作であった〔『ブルーバード映画の記録』、p.2.〕。ブルーバード映画が製作する映画は、上映尺を全5巻、50分程度とした小品で、青少年向けの明朗な人情劇であった〔。合衆国内では、毎週月曜日に定期公開された〔。 同年、ユニバーサル社の極東支配人であるトム・コクレンと播磨勝太郎が提携し、播磨ユニヴァーサル商会を設立、同年6月以前に製作されたユニバーサル映画に関しては自由配給であるが、同年7月1日以降の製作物に関しては、同商会が独占的に日本配給する旨を宣言した〔。日本で初めて公開されたブルーバード映画は、アイーダ・シュナール主演、ヘンリー・オットー監督の ''Undine'' で、同作を『美人島』と題し、浅草公園六区の帝国館で同年8月26日に封切った〔。同館では多くのブルーバード映画を公開したが、なかでも1917年(大正6年)5月28日に合衆国で封切られて日本では翌1918年(大正7年)1月19日に同館で公開されたマートル・ゴンザレス主演、リン・F・レイノルズ監督の『南方の判事』〔, 2010年4月15日閲覧。〕〔『ブルーバード映画の記録』、p.6.〕は、活動辯士・林天風が考案し、生駒雷遊も使用した説明の文句「春や春、春南方のローマンス」で一世を風靡した〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、p.322-323.〕。 1916年10月18日に日本で公開されたロイス・ウェバー監督の『毒流』について、当時の映画雑誌『活動之世界』では「活動写真が藝術だと云ひ得るなら、この写真の如きにそれであらう。従来の映画と比較して見ても、江戸時代の戯作者の作物から、急に自然派文学に接した心地がする」と評した〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』、p.261.〕。『沼の少女』(1916年)、『南方の判事』に主演した女優マートル・ゴンザレスが1918年に世界的に流行したスペインかぜにより満27歳で急死した際には、同年12月の『活動評論』創刊号に2ページ見開きによる追悼文『汝悲しいマートルよ』が掲載されている〔『活動評論』大正7年12月創刊号、1918年、p.10-11.〕。 日本市場での歓待にかかわらず、米国市場を中心としたブルーバード映画は、営業不振により、1919年(大正8年)3月をもって営業を停止し、ユニバーサル社に合併され、3年あまりのうちに全168作を数えた〔『ブルーバード映画の記録』、p.63.〕「ブルーバード映画」の歴史を閉じた。最終作品は、山中十志雄・塚田嘉信の指摘によれば、同年3月2日発売(米国公開)〔, 2010年4月22日閲覧。〕のジャック・ディロン監督の『赤い酒』である〔。Internet Movie Databaseによれば、同作の米国公開日は同一であるが、『屍の輝き』の公開日が15日遅い同年3月17日〔, 2010年4月22日閲覧。〕、山中・塚田によれば『赤い酒』より13日早い同年2月17日である〔『ブルーバード映画の記録』、p.11.〕。 1920年代にユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニーがユニバーサル・ピクチャーズと改名した後、「ブルーバード喜劇」(Bluebird Comedies)というブランドが生まれ、ブルーバードの名のみ復活したが、これは本項の「ブルーバード映画」とは異なる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルーバード映画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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