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靖国神社問題(やすくにじんじゃもんだい)は、靖國神社(靖国神社)をめぐって議論の対象となる各種の問題を指す。日本のマスメディアでは「靖国問題」と略称することが多い。 == 概要 == 靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官ペリー来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。 「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や、(日清戦争や第一次世界大戦などの戦死者も祀られているにもかかわらず)第二次世界大戦のみにおいて、当時の日本について「侵略だったか自衛だったか」といった歴史認識、また同戦争において日本の支配及び日本軍が送られ犠牲者も出た近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。第二次世界大戦における日本の終戦の日である8月15日の参拝は戦争の戦没者を顕彰する意味合いがあるとされ、特に国内の左派や日韓の二国において議論が大きくなる。 小野田寛郎は、日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった、としている。〔 小野田寛郎『ルバング島 戦後30年の戦いと靖国神社への思い』(講談社、1974年〕。 他方、戦争被害を受けたという主張している中国や韓国(実際には韓国を含める朝鮮半島一帯は第二次世界大戦時には日本領であり、日本と交戦関係にない)は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している(諸外国の反応の詳細については後述の#日本国外の見解を参照)。もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国共産党政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した。一方で、戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の要人も訪れている。 なお亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための施設及びシンボルとする解釈が現在だけでなく戦前からも一般的だが、神社側としては「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝える」場所〔http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html〕, および「日本の独立を誓う場所」との認識が正しいとのことである。〔『偕行』昭和20年7月「靖国神社について」より〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「靖国神社問題」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Controversies surrounding Yasukuni Shrine 」があります。 スポンサード リンク
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