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非ナチ化(ひナチか、独:Entnazifizierung、英:Denazification)とは、連合軍軍政期のドイツ(1945年 - 1949年)ならびに軍政期のオーストリアで実施された政策。ドイツとオーストリアに限らず、ナチに占領されたフランスやオランダなどでも、ナチ体制の除去が行われた。狭義の非ナチ化はナチ党関係者の人事粛清を指すが、広義の非ナチ化にはドイツ社会からの、ナチス・ドイツ時代の影響を除去する政策全般を指す〔吉村、62p〕。 == 前史 == 連合国の代表アメリカ・イギリス・ソビエト連邦の三国は1943年10月のモスクワ会談において、ドイツの無条件降伏と、戦後ドイツの軍事的無力化、民主化とともに非ナチ化を推進する方針を策定した。1944年から主要国に加わったフランスもその方針に同調し、1945年2月のヤルタ会談後には「ドイツの軍国主義とナチズムを撲滅し、ドイツが世界平和を二度と攪乱できないよう保障する」ことを目的とし、「ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)、ナチ的法律・制度・組織・諸制度を根絶し、ナチや軍国主義のあらゆる影響を公的機関やドイツ人の文化生活・公共生活から除去」することを宣言した〔吉村、50p〕。この方針に基づき行われたドイツ降伏後のポツダム会談では「名目以上にその活動に参加したナチ党員全員、ならびに連合国の目的に敵対的な人間」を「公職および準公職、重要な私企業の責任ある地位」から追放することが決定された〔。 連合国遠征軍最高司令部(Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force、SHAEF)は重要人物を逮捕するためのリストを策定したが、全体的な非ナチ化の方針は定まっておらず、詳細な非ナチ化は分割占領地域ごとに独自に行われはじめた。占領行政全体を統括する連合国管理理事会(:en:Allied Control Council)は1946年1月12日になって「名目以上」の範囲を定義する指令を出したが、この方針も非ナチ化政策の統一には至らなかった〔吉村、51p〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「非ナチ化」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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