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鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ)は、和歌山県紀の川市中鞆淵にある神社。祭神は応神天皇・仲哀天皇・姫大神。旧県社。例祭は毎年10月15日に実施される。 元は石清水八幡宮の荘園である鞆淵荘の産土神を祀るために同八幡宮の別院として平安時代に創建されたと推定されている。 安貞2年(1228年)に石清水八幡宮から神輿が送られ、その後もこの時の仕様のものが製作・使用された。現存の神輿は平安時代末〜鎌倉時代初期のもので国宝に指定されている。また、三間社流造の本殿(寛正3年(1462年)の棟札を有する)および大日堂は重要文化財である。 == 文化財 == === 国宝 === * 沃懸地螺鈿金銅装神輿(附:神輿奉送目録) :沃懸地(いかけじ)とは漆工芸の技法の一つで、漆を塗った器面に鑢(やすり)で磨り下ろした金粉を密に蒔き詰め、その上からもう一度漆を塗って研ぎ出したもの。沃懸地に螺鈿の装飾は平安時代後期から鎌倉時代の漆工芸品にしばしば見られる。金銅装(こんどうそう)とは、「金銅(銅に金メッキ)の金具で飾った」という意味である。 :総高226センチ。12世紀末(平安時代末期〜鎌倉時代初期)の作品。この神輿は、周囲に鳥居や高欄(手すり)を設けない古式のもので、四面の軒下には帽額(もこう)を垂らし、各面に3枚ずつ計12枚の華鬘(けまん)を吊り下げ、屋根の四隅の蕨手にはそれぞれ幡(ばん)を吊り下げる。帽額とは几帳などの上部に目隠しのために垂らした横長の布のことである。帽額、華鬘、幡はいずれも金銅製で宝相華唐草文を透かし彫りし、帽額と幡には木瓜形、華鬘には八花形の鏡板を嵌め込む。四隅の柱は後補のものであるが、框(土台部分の水平材)と桁(屋根荷重を受ける水平材)は当初のもので、沃懸地螺鈿で装飾されている。神輿とともに伝来する奉送目録によると、安貞2年(1228年)、中宮藤原長子により石清水八幡宮に神輿が奉納された際、不用となったこの神輿が別宮である鞆淵八幡神社に奉送されたという。当時、石清水八幡の放生会に際し、中宮が神輿3基を調進・奉納することが例となっていた。鞆淵八幡神社に奉送されたこの神輿の製作年代は、当然ながら安貞2年以前であり、建久3年(1192年)、時の中宮藤原任子が調進したものがこれに該当する可能性が高い。〔『週刊朝日百科 日本の国宝』40号(朝日新聞社、1997)、pp.3 - 298 - 3 - 300(沃懸地螺鈿金銅装神輿の解説執筆は久保智康)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鞆淵八幡神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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