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鞍埼
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鞍埼 ( リダイレクト:鞍埼 (給糧艦) ) : ウィキペディア日本語版 | 鞍埼 (給糧艦)[くらさき]
鞍埼(くらさき)は、日本海軍の給糧艦。艦名は宮崎県日南市の油津港の南方側にある、日南大島の南端の岬「鞍埼鼻」に由来する〔#片桐p.582〕。 == 艦歴 ==
=== おは丸 === 元は1928年(昭和3年)3月27日に神戸製鋼播磨造船工場(後の播磨造船所)で竣工した、北樺太石油会社()〔村上 隆, "北樺太石油コンセッション 1925‐1944", ISBN 4-832-96471-2〕〔#「オハ」油田p.2〕所有の「おは丸」。総トン数は995トン〔。2つの一等客室を有する小型貨物船で、タンカーではない〔〔。竣工後は北海道と、オハなど北樺太の港町との作業員や物資の往来に使用される〔〔#配船計画p.30,34,50〕。収容可能人数は一等客室利用者に限れば5名だが〔、それとは別に140名〔#労働者関係p.2〕あるいは265名〔#田中p.2〕収容という記録が残っている。ソビエト連邦成立、シベリア出兵の後、オハなど北樺太においても共産主義が広がる懸念があり、船員や在オハの日本人労働者の所謂「アカ化」に関する内偵もしばしば行われた〔#外甲秘p.1〕。1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発すると、通常航海の傍らで特殊任務に従事することもあった〔#配船計画p.10〕。昭和16年11月28日から1942年(昭和17年)7月3日までは佐世保鎮守府籍の海軍一般徴傭船として、第三艦隊および第二南遣艦隊に属して行動〔#特設原簿p.142〕。1943年(昭和18年)3月31日夜には、の玄界島近海で貨物船南進丸(石原産業海運、4,806トン)〔#戦時遭難史p.68〕と衝突し、救難作業の甲斐なく南進丸を沈没させる事故を起こした〔#佐鎮1803p.14〕〔#佐鎮1803p.26, pp.40-43〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鞍埼 (給糧艦)」の詳細全文を読む
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