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鞏義市(きょうぎ-し)は中華人民共和国河南省鄭州市に位置する県級市。まもなく区に昇格する予定。 == 歴史 == 殷代には斟郡(現在の稍柴・羅荘一帯)と称され国都が設置されている。周代になると鞏伯国が置かれた。 前249年(荘襄王元年)、秦により鞏県が設置される。「山河が四方を塞ぎ、鞏固で(攻撃にも)抜かれることはない」ことから命名され、漢代には河南郡、魏晋南北朝時代には東魏により成皋郡の管轄とされ、北斉により鞏県は廃止となり成皋県に編入された。隋朝が成立すると596年(開皇16年)に再び洛州の下に鞏県が設置、宋代以降は河南府の管轄となり清末まで沿襲された。 中華民国が成立すると1913年(民国2年)に北京政府により新設された豫西道(翌年河洛道と改称)の管轄とされたが、1927年(民国16年)、道制廃止に伴い河南省の直轄とされた。1932年(民国21年)以降は第十行政督察区の管轄となっている。 1949年、中華人民共和国政府は鄭州専区の管轄としたが、1955年に開封専区、1958年には鄭州市、1961年には開封地区、1983年には再び鄭州市の管轄とした。1991年、県級市の鞏義市に改編され現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鞏義市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gongyi 」があります。 スポンサード リンク
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