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韋崇[い すう] 韋崇(い すう、生没年不詳)は、北魏の政治家。韋閬の甥。字は洪基。本貫は京兆郡杜陵県。 == 経歴 == 南朝宋の魏郡弋陽二郡太守・豫州刺史の韋肅(字は道寿)と鄭氏のあいだの子として生まれた、10歳のときに父が死去し、母に従って北魏に入り、河洛に住んだ。若くして母方のおじの兗州刺史鄭羲に器量を認められた。中書博士を初任とし、司徒従事中郎に転じた。南潁川郡太守に任じられ、細事にこだわらない統治をおこなって、うまく郡中が治まったため、孝文帝から賞与を受けた。洛陽遷都の後に司州中正となり、まもなく右将軍の位を受けた。咸陽王元禧の下で開府従事中郎をつとめ、また河南邑中正となった。郷郡太守として出向して、任期を終えたが、郡の官民に慰留されて、さらに3年のあいだつとめた。郡にあること9年、司徒諮議に転じた。長らくして華山郡太守に転じて、死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韋崇」の詳細全文を読む
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