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韋賢 : ウィキペディア日本語版
韋賢[い けん]
韋 賢(い けん、紀元前140年 - 紀元前61年)は、前漢の政治家。は長孺。
魯国鄒の人。5代前の先祖韋孟は楚王に仕え、楚王劉戊を諌めたという。
韋賢は儀礼尚書詩経に通じ、「鄒魯の大儒」と呼ばれた。中央に徴用されて博士、給事中となり、昭帝に詩経を教授した。
光禄大夫詹事と昇進し、大鴻臚に至った。昭帝が跡継ぎなく崩御したので、大将軍霍光らと共に宣帝を皇帝に擁立し、その功績で関内侯を賜った。後に長信少府となり、本始3年(紀元前71年)に前任者蔡義の死により丞相となり扶陽侯に封じられた。
地節3年(紀元前67年)に高齢を理由に丞相を引退することを申し出て許され、金百斤と屋敷を賜った。丞相が自ら引退するようになるのは彼が最初であった。神爵元年(紀元前61年)に82歳で死亡。節侯とされた。
子は4人おり、長男の韋方山は早くに死に、次男の韋弘は東海太守となり、三男の韋舜は魯の父祖の眠る墳墓を守り出仕せず、四男の韋玄成は丞相になった。漢において親子2代で丞相となったのは韋賢・韋玄成と周勃周亜夫曹操曹丕の計3組だけである。
故郷の鄒魯では、韋氏が経書を学んで栄えたことから、「子孫に金を遺すよりも経書を遺す方が良い」という諺が生まれたという。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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