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韋那 磐鍬(いな の いわすき〔旧仮名遣いでの読みは「ゐなのいはすき」〕、生没年不詳)は、日本の飛鳥時代の人物である。名は石次(いわつぎ〔旧仮名遣いでの読みは「いはつぎ」〕)とも書く。姓は公。宣化天皇の後裔で、額田鏡王の子とする系図がある。官職は近江守。 672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のために東国から兵力を動員する使者になったが、敵方に阻まれて逃亡し、任務に失敗した。 == 出自 == 韋那氏(氏姓は「韋那君」〔『古事記』〕、「偉那公」〔『日本書紀』宣化天皇元年3月8日条〕、「偉那君」〔『先代旧事本紀』巻第九,帝皇本紀〕、「猪名公」〔『日本書紀』白雉元年2月15日条〕とも表記される)は宣化天皇の皇子・上殖葉皇子〔〔または火焔皇子〔〔太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店,1963年〕を祖とする皇別氏族で、摂津国河辺郡為奈郷に設置されていた猪名部の伴造氏族であった為奈部氏(為奈部首)を出自とする乳母の姓に由来すると想定される〔佐伯65 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韋那磐鍬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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