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韓国光復軍(かんこくこうふくぐん、)は、1940年9月17日、中華民国の支援のもとに同国臨時首都重慶で創立された大韓民国臨時政府の軍事組織である。単に光復軍とも呼ぶ。軍隊を称しているが、連合軍には認められず、ほとんど戦闘に参加することもなく解体された。 ==概要== 大韓民国臨時政府を正式な交戦国・交戦団体に昇格させて連合国の一員とするという政治目標を持った組織であり、正式な軍隊〔「正式な軍隊」とは、将来の国軍ではなく、国際法上の交戦国の軍隊および交戦団体をさす。つまり連合国軍の一員となることを目的とした。〕を”目指した”点で、他の抗日組織とは一線を画した。 重慶では、蒋介石を長とする国民党政府軍事委員会の傘下にあった。中国全域では中国共産党影響下の朝鮮人抗日組織の方が勢力が強かったが、「光線(光復戦線)」と「民線(民族戦線)」の統合が要求されて、直接の指揮下にない朝鮮人部隊も名目上は光復軍を名乗ることがあった。結果、国家主義者と共産主義者が混在することになって、日中戦争中も消えることがなかった中国大陸内における国共内戦の対立構造の中で不和が目立った。光復軍は朝鮮半島への潜入などいくつかの計画を温めていたが、1945年の日本のポツダム宣言受諾により、実戦にほとんど参加することなく終わった。 軍政期、冷戦対立が顕在化する中で、大韓民国臨時政府は正式な政府とは認められず、光復軍も民線(左派)が含まれていたことからすでに解体を命じられ、兵士と将校はばらばらに帰国するように指示された〔ライバル組織であった朝鮮義勇隊の後身、朝鮮義勇軍は中国人民解放軍に編入された。〕。結局、大韓民国臨時政府および光復軍を朝鮮独立の礎となすという構想は実現せず、韓国陸軍の前身もアメリカ軍政時代にアメリカ軍政庁が結成した南朝鮮国防警備隊に譲ることになった。 皮肉にも、この組織は日本軍および満州国軍の朝鮮人将校(右派)を中心幹部としていた。さらに、最大の支援者であった中国国民党も、戦後の内戦で中国共産党に敗北して中国大陸から追われて台湾に逃れ、中国には中国共産党の中華人民共和国が成立した。臨時政府の幹部の中では、臨政初代大統領も務めた李承晩がアメリカでのロビー活動で得た人脈を活かして首班候補にまでなり、1948年8月15日に建国された大韓民国でも初代大統領に擁立された一方で、光復軍を構想から立ち上げた金九は、その李承晩との政争に敗れ、 1949年に暗殺された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓国光復軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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