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韓国民主回復統一促進国民会議 : ミニ英和和英辞書
韓国民主回復統一促進国民会議[かんこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

韓国 : [かんこく]
 【名詞】 1. (South) Korea 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国民 : [こくみん]
 【名詞】 1. national 2. people 3. citizen 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
民主 : [みんしゅ]
 【名詞】 1. democratic 2. the head of the nation 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
: [かい]
 【名詞】 1. counter for occurrences 
回復 : [かいふく]
  1. (n,vs) recovery (from illness) 2. improvement 3. rehabilitation 4. restoration 
統一 : [とういつ]
  1. (n,vs) unity 2. consolidation 3. uniformity 4. unification 5. compatible 
: [いち]
  1. (num) one 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 

韓国民主回復統一促進国民会議 ( リダイレクト:在日韓国民主統一連合 ) : ウィキペディア日本語版
在日韓国民主統一連合[ざいにちかんこくみんしゅとういつれんごう]

在日韓国民主統一連合(ざいにちかんこくみんしゅとういつれんごう)は、「大韓民国(韓国)の民主化祖国統一」をスローガンとする在日韓国人の運動団体。略称は韓統連(かんとうれん)。韓国民主回復統一促進国民会議(かんこくみんしゅかいふくとういつそくしんこくみんかいぎ。略称:韓民統、かんみんとう)として発足し、1989年の組織改編により現在の形となった。本部所在地は東京都千代田区
韓国では大法院の判決により、北朝鮮政府、及び朝鮮総連と共に「反国家団体」との判断が確定している。
== 沿革 ==
韓統連は、在日本大韓民国民団1994年まで、正式名称は「在日本大韓民国居留民団」だった。〕(民団)の元団員を中心メンバーとし、金大中の韓国民主化運動と反「軍部独裁」政権運動を支持・援助する事を目的に結成された。
1961年5・16軍事クーデター後、民団では本国の朴正煕政権を支持する中央執行部(従属派)と、四月革命の完遂を目指す在日韓国青年同盟(韓青)を始めとする一部の団員(民主派)が対立していた〔韓青の歩み 〕。両者の対立は1969年3選改憲を機に激化し、韓国中央情報部(KCIA)の介入もあって、一部民主派団員の民団からの除名や韓青の民団からの追放(1972年7月)が行なわれた〔<青年会中央35周年>従北勢力(総連・韓統連)との闘いから生まれて 民団新聞2012年2月12日記事)より。〕。だが、それでも民主派勢力は民団内から完全に駆逐されず、1972年南北共同宣言の発表を機に「祖国統一の推進」を名目として朝鮮総連と公に接触するようになっていった〔韓統連の歴史 〕。
そのような中、当時アメリカ亡命していた金大中が、韓国国外の反体制的な韓国人を糾合する団体の設立を呼びかけた。それに対し日本では韓青や民主派の民団団員が呼応し、1973年に金大中を議長へ推戴する韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)を結成することで合意した。だが、結成1週間前の8月8日金大中事件が発生したため、8月15日の結成宣布大会以降は在日韓国人の金載華が代表代行を務めることになった。結成後、韓民統は韓国の反維新体制運動支援(韓国国外における反韓の世論喚起)、に金大中を始めとする韓国国内の政治犯釈放運動、及びに全泰壱の紹介による等韓国の労働運動支援等を展開した。しかし1978年韓国の裁判所から学園浸透スパイ団事件北朝鮮によるスパイ活動)の首謀組織として認定されると、韓民統は国家保安法における「反国家団体」に指定されて〔대법원 한민통 반국가단체 규정 경향신문 1978년 6월 19일〕関係者の韓国への帰国が事実上不可能となった〔国家保安法では、反国家団体の構成(第3条)、及び反国家団体構成員の韓国入国(第6条)を犯罪行為として規定している。〕。
粛軍クーデター光州事件を経て全斗煥政権(第五共和国)が誕生すると、韓民統は上記の活動に加え、「自主・平和・民族大団結」をスローガンとする朝鮮統一 運動の支援、在韓米軍の対北朝鮮軍事演習に対する反戦運動平和運動と韓国における反米活動の支援、全斗煥訪日(1983年)後の日韓関係に対する批判を行うようになり、社会主義インターナショナルとも協力するようになった。その後、1987年民主化宣言を経て第六共和国体制が成立すると、韓国の民主化が一応は達成されたことで組織の活動内容が大きく変わるようになった。そのため、1989年に韓民統を在日韓国民主統一連合(韓統連)に改編し、在日韓国人の団体としての性格を強めたうえで、活動の主軸を韓国の民主化から朝鮮統一問題の解決へと移していった。しかし、韓国国内の統一運動支援に関連させる形で、韓統連は1990年に韓国の裁判所から国家保安法における「反国家団体」に再度指定され、関係者の韓国帰国は引き続き不可能となった。
1990年代を通じ、韓国における韓統連の扱いは国家保安法に反する「犯罪集団」のままだった。だが1998年に金大中が大統領に就任すると、2003年に団体構成員の一時帰国が韓国政府から初めて認められ、構成員の合法的な韓国帰国が可能となった。その後、2004年には訪韓した団体構成員が金大中と再開し、韓民統は金大中盧武鉉の両政権時代に何度か訪韓を繰り返した。しかし、李明博政権になった2009年には韓国大使館から訪韓幹部への出頭要請や、訪韓する会員への入国時の取り調べ実施を通告されるようになった。11月19日東京新聞によると、これは裁判所の1990年の判断を根拠に韓国政府が「韓統連は国家保安法上の捜査対象の組織」との立場を堅持しているためで、金大中盧武鉉政権時代に入国時の取り調べを行わなかったことを「当時の政治的判断」としているという。以降、韓統連構成員の自由な訪韓は事実上不可能な状態が続いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「在日韓国民主統一連合」の詳細全文を読む




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