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朝鮮統一問題(ちょうせんとういつもんだい)とは、分断国家朝鮮の統一の実現を巡る一連の政治問題を指す呼称である。 朝鮮統一とは、朝鮮半島が南側の大韓民国(韓国)と北側の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分裂している状況を改め、最終的には単一政府の施政によって朝鮮を再統合することである。現在南北朝鮮は政治的に分断されているが、両国とも「一国としての朝鮮」の成立が最終目標であると公言している。両国の統一は、朝鮮のアイデンティティという意味では非常に重要な位置を占めている。 == 分裂の経緯 == === 朝鮮戦争以前 === 第二次世界大戦中の1943年11月に開催されたカイロ会談にて連合国を構成していたアメリカ合衆国、イギリス、中華民国の首脳は日本の統治下にあった朝鮮の戦後の解放を合意し、1945年2月のヤルタ協定では戦後のアメリカ合衆国、イギリス、中華民国、ソビエト連邦の四国による朝鮮の信託統治が非公式に合意された〔田中(2011:4)〕。 1945年の8月8日のソ連対日宣戦布告後、8月13日にソ連軍は朝鮮北東部の清津に上陸したため、ソ連の朝鮮進出を懸念したアメリカ合衆国は日本の降伏後、北緯38度線を境に朝鮮南部をアメリカ軍が、朝鮮北部をソ連軍が占領する案をイギリス、中華民国、ソ連に伝えた〔。同1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾した後、8月24日にソ連軍は平壌に進駐、9月8日にアメリカ軍は仁川に上陸し、それぞれ軍政を開始した〔田中(2011:4-5)〕。 日本の降伏による朝鮮解放後、中華民国やソ連、アメリカ合衆国などから左翼の共産主義者である金日成、朴一禹、方虎山、武亭や右翼の民族主義者である李承晩、金九、中道派の金奎植ら朝鮮半島外で抗日運動を行っていた朝鮮独立運動家が朝鮮半島に帰還し、日本統治時代の朝鮮にて民族運動を担っていた朴憲永、呂運亨、曺晩植らと連合国軍軍政下の南北朝鮮で来るべき朝鮮独立に向けての主導権争いを繰り広げた〔田中(2011:5-7)〕。 日本降伏後に樹立された朝鮮建国準備委員会(建準)は、ソ連軍政下の北部では間接統治に利用され、アメリカ軍政下の南部では解体されて在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治が敷かれた〔田中(2011:7)〕。 1945年12月のモスクワでのアメリカ合衆国、イギリス、ソ連の三国により、朝鮮の信託統治と統一政府樹立を目指す協定が為されたが、この協定が朝鮮半島に伝わると、分断下の南北両朝鮮で信託統治に賛成(賛託)した左派の金日成や呂運亨と信託統治に反対(反託)した右派の李承晩、金九らがそれぞれ南北朝鮮で抗争を繰り広げた〔田中(2011:7-8)〕。 1946年1月に開催された米ソ共同委員会、1947年5月に再開された第二次米ソ共同委員会はこの収拾に失敗し、国際連合の入北をソ連軍政が拒否したため、1948年5月10日に金九や金奎植らの反対の中で南朝鮮単独での総選挙が実施され、大韓民国憲法制定後の1948年8月15日に李承晩大統領の下で南朝鮮は大韓民国として独立した〔田中(2011:8-9)〕。他方、北朝鮮では7月10日に朝鮮民主主義人民共和国憲法が制定、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が建国され、初代首相には金日成が就任した〔田中(2011:9)〕。 かくして朝鮮半島には朝鮮民族の分断国家が南北に併存し、朝鮮全土が統一した状態での独立は成らなかったのである〔。1948年の朝鮮分断後、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は「国土完整」を、南朝鮮、大韓民国の李承晩大統領は「北進統一」を人々に訴え、政治体制の異なる南北両政府は互いに互いを併呑することによる朝鮮統一を主張した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮統一問題」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Korean reunification 」があります。 スポンサード リンク
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