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韓 多峰(かん たほう)は中華民国の軍人。北京政府、国民軍、国民政府(国民革命軍)に属した。馮玉祥配下の「十三太保」〔韓多峰に加え、孫良誠、韓復榘、石友三、張維璽、過之綱、劉汝明、聞承烈、佟麟閣、孫連仲、程希賢、葛金章、趙席聘の13人を指す。〕の1人としても知られる。号は秀岩。 == 事績 == 馮玉祥率いる第16混成旅に加入し、着実に昇進を重ねた。1926年(民国15年)、西北陸軍第40旅旅長に昇進している。1929年(民国18年)、河南省政府委員に任ぜられた。中原大戦で馮が下野、旧国民革命軍第2集団軍が完全に崩壊すると、韓多峰は元同僚の山東省政府主席韓復榘の下に身を寄せ、1935年(民国24年)、山東省政府顧問の地位を与えられた。〔劉主編(2005)、2267頁。〕 1936年(民国25年)6月、陸軍中将銜を授与される。日中戦争(抗日戦争)勃発後の1938年(民国27年)1月に、韓復榘は「敵前逃亡」の罪などにより蒋介石の命で処刑されてしまったが、韓多峰は同年8月に山東省第4区行政督察専員兼保安司令に任ぜられ、引き続き日本軍との戦いを続けている。戦後、韓多峰は軍人から引退し、山東省で教育振興事業に取り組んだ。中華人民共和国成立後も大陸に留まり、山東省人民代表大会代表、同省政治協商会議委員などを歴任した。1987年3月25日、済南市にて病没。享年100。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓多峰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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