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韓復榘 ( リダイレクト:韓復ク ) : ウィキペディア日本語版
韓復ク[かん ふくく]

韓 復榘(かん ふくく)は中華民国の軍人。北京政府国民軍国民政府国民革命軍)の軍人。国民軍では、馮玉祥配下の「十三太保」〔韓復榘に加え、孫良誠石友三張維璽過之綱劉汝明聞承烈佟麟閣孫連仲韓多峰程希賢葛金章趙席聘の13人を指す。〕の1人と称された。向方
== 事跡 ==

=== 国民軍での活躍 ===
私塾教師の子に生まれる。初めは学問を志したが、貧困のため1910年宣統2年)から軍に加わり、馮玉祥の営に配属された。清末に馮が灤州起義を起こした際には、韓復榘も参加した。失敗後に韓は帰郷したが、民国成立直後に馮の下に帰参し、以後第16混成旅や第11師などで順調に軍歴を重ねている。〔沈(1978)、243頁。〕〔徐主編(2007)、2659頁。〕〔劉国銘主編(2005)、2269頁。〕
1924年民国13年)10月の北京政変後に、国民軍が結成されると、韓復榘は国民軍第1軍第1師第1旅旅長に任命された。翌年春、第1師師長に昇進した。1926年(民国15年)の南口の戦いでは、山西省閻錫山が国民軍の後背を脅かしてきたため、僚友の石友三とともに山西軍を迎撃、善戦した。しかし国民軍は同年8月に、ついに南口を放棄する。張之江らの本隊は綏遠省へ撤退したが、韓と石はそれに従わず、閻に降伏した。〔〔〔
同年9月、馮玉祥が帰国して五原誓師を行うと、韓復榘は馮の下に復帰し、国民聯軍援陝第6路総指揮に任命された。1927年(民国16年)6月、国民聯軍が国民革命軍第2集団軍に改組されると、韓は第2集団軍第6軍軍長に任命され、中国国民党北伐に参戦して軍功をあげた。10月、第2集団軍の縮小を経て、韓は第20師師長に任命され、鄭州に駐屯した。12月、韓は馮玉祥の推薦により河南省政府主席に就任した。しかし韓は第20師への指揮権を喪失し、しかも第20師は韓と不仲の石敬亭に委ねられてしまう。これは、韓の馮に対する反感を掻き立てることになった。〔沈(1978)、頁。〕〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Han Fuju 」があります。




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