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韓 明淑(ハン・ミョンスク、1944年(昭和19年)3月24日 - )は、大韓民国の政治家。37代国務総理(任期:2006年4月20日〜2007年3月7日)を初め、大韓民国国会の国会議員(第16代、第17代、第19代)、盧武鉉財団理事長や旧・民主党常任顧問、元民主統合党代表(2012年1月 - 2012年4月)などを歴任。現在は民主党の常任顧問〔 (民主党の人々 韓明淑) 。民主党ホームページ〕。平壌出身。2015年8月20日、大法院 (大韓民国)で政治資金不正授受で懲役2年の実刑が確定し、議員職を失った。 == 人物像 == チョンソン女子高卒。梨花女子大学校のフランス文学科卒。1967年に大学教授と結婚。1974年にクリスチャンアカデミー講師。彼女の夫は1974年の人民革命党事件で逮捕され、10年以上服役しており、彼女自身も維新体制下で、民主化運動の担い手となる女性指導者の養成に励むなか、1979年にクリスチャン・アカデミー事件で逮捕(反共法違反)され、KCIA(大韓民国中央情報部)から拷問を受け、2年間投獄されている。 1989年-1994年韓国女性民友会長、韓国女性団体連合常任代表歴任、1994年に結成された市民運動団体の参与連帯では共同代表を務めた。女性の政治・社会参加と家族法の改正を一貫して主張し、性暴力防止や母性保護に関連する法律の制定にも主導的な役割を果たした。 1999年、金大中政権与党である新千年民主党(新政治国民会議を改編して発足した政党)に入党、2000年の第16代国会議員選挙に全国区から出馬して当選、国会議員になった。2001年に発足した女性家族部の初代長官。2003年〜2004年環境部長官。2004年ウリ党常任中央委員。第17代国会議員選挙では京畿道高陽市の地方区から出馬、再選した。 2006年4月、国務総理に任命され、大韓民国憲政史上初の女性首相となった。2007年3月に総理の座を退き、6月18日に大統領選に出馬表明〔韓明淑前首相、大統領選出馬を表明 朝鮮日報 (2007年06月18日付)〕し、大統合民主新党(民主新党)の候補者予備選挙に出馬したが、9月14日には撤回し李海瓚(イ・ヘチャン)元首相への支持を表明〔大統領選:民主新党予備選をめぐるさまざまな噂(下) (2007年09月17日付)〕〔民主新党の大統領候補予備選では鄭東泳が勝利し、李海瓚は孫鶴圭にも遅れをとる3位に留まった。〕した。翌2008年4月の総選挙では民主新党と民主党が統合して結成された統合民主党から出馬したが、李明博大統領与党のハンナラ党候補で元高陽郡守(郡の首長)の白成雲(ペク・ソンウン)に敗れた〔「総選挙:統合民主党、大物議員の落選で激震 」朝鮮日報(4月10日付)〕。 2004年に国家保安法廃止法案に署名したことなどから、左派との見方がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓明淑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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