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韓武館 ( リダイレクト:韓武舘 ) : ウィキペディア日本語版 | 韓武舘[かんぶかん] 韓武舘(かんぶかん)は東京にあった空手道場。防具付き空手の発祥の地の一つ。 == 概要 == 韓武舘は戦後の武道禁止令の中、修道舘の遠山寛賢の高弟らがGHQの監視を逃れて空手の稽古や普及を行うために、昭和20年に設立した空手道場である。流派としては首里手の糸洲安恒の直系を自認する遠山の修道舘の無流派主義を受け継いでいる。当時はGHQの占領下だった為に日本武道が禁止されていたが、遠山の高弟の一人で韓国籍の尹曦炳を館長とすることで稽古や空手冊子の編集等の活動を可能とした。これについて金城裕は「尹館長が韓国籍で、当時第三国人として特権階級に属していたからである」と述べている。また尹について金城は後に、「若い事業欲ある才人であり、彼が空手界にかかわった年月は短いけれど、残した業績は大きい」と評し、「このように書いても空手界の人はすぐには納得しないと思う」とも述べている。 朝鮮戦争の影響などにより昭和24年に尹が韓国に帰国し、またGHQによる規制が緩和されてきた後は錬武舘と改称。後に全日本空手道連盟(旧)(現在の錬武会)に発展した際は修道舘を総本部として迎えた。 韓武舘そのものはわずか5年間のみ存在した道場であったが、敗戦直後の日本人がGHQの禁武政策をかいくぐり、武道空手の系譜を継受することに大いに貢献した。ほかにも組手の競技化の先駆的存在であったことや、錬武会の前身団体であること、曺寧柱や曺の弟子である大山倍達など後に空手界の重鎮となる人物が出入りしていたことなど、単なる伝統の保存に留まらず後世に近代空手が発展する地盤を築いたことから、その功績は計り知れない。 なお、尹曦炳が韓武舘館長時に出版した『空手道名鑑』においては「国際空手道連盟韓武舘」という名称で表記されている。
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