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韓滌魯[かん てきろ] 韓 滌魯(かん てきろ、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。字は遵寧。韓徳威の孫にあたる。 == 経歴 == 幼いころ宮中で養育され、小将軍の位を受けた。重熙初年、北院宣徽使・右林牙・副点検を歴任した。惕隠の位を受け、西北路招討使となり、漆水郡王に封じられた。軍籍にある者3280人を削減するよう請願した。後に回鶻の使者から獺の毛裘を、阻卜から貢物を横領し、事が発覚して杖罰を受け、官爵を剥奪された。まもなく北院宣徽使として再起した。19年(1050年)、烏古敵烈部都詳穏となった。まもなく東北路詳穏となり、混同郡王に封じられた。 清寧初年、鄧王に徙封され、南府宰相に抜擢された。老年のため隠退を願い出て、さらに漢王に改封された。大康年間に死去した。享年は80。 子の韓燕五は、南京歩軍都指揮使に上った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓滌魯」の詳細全文を読む
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