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韓玄[かん げん]
韓 玄(かん げん、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家、武将。
== 正史の事跡 ==
正史においては、曹操が荊州を制圧したときの長沙太守であり(『三国志』蜀書黄忠伝)、後に金旋・劉度らと共に劉備の軍勢に降伏した(『三国志』蜀書先主伝)という記述しかない。これ以降、史書に記述がないため、生死を含め韓玄の動向は不明である。一方で、韓玄の指揮下にあった黄忠は、その後劉備陣営の主力武将として大いに活躍した。 『中国文物地図集』湖南分冊によれば、長沙市天心区の長郡中学校の体育場敷地内に韓玄の墓が残る。現在は2.4m×1.7mのレンガで囲まれた塚のみで、1983年に「漢忠臣韓玄之墓」との墓碑が建てられた。但し韓玄を忠臣とする根拠は明らかでない。省級文物保護単位。清の汪応銓の『韓玄墓記』によれば、清代には韓玄は祟り神だと考えられていたようであり、怪異をなしたり、墓周辺の穢れの気を人に触れさせることが多かったとある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓玄」の詳細全文を読む
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