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韓 談(かん だん、生没年不詳)は、秦末期の宦官。『史記』の「李斯列伝」に記述がある。 == 経歴 == 紀元前207年、二世皇帝が趙高により殺害されて子嬰が秦王として立てられた。子嬰は趙高の誅殺を計画したが、その際に韓談も子嬰の子供らと計画に参画した〔宦者韓談及び其の子と高(趙高)を殺さんことを図る(李斯列伝)〕。趙高が子嬰の病気見舞いとしてやって来ると、子嬰の命令で趙高を刺殺し、さらに趙高の三族を皆殺しにした〔高(趙高)謁して病を請う。因りて召し入れ、韓談をして之を刺殺せしめ、其の三族を夷らぐ(李斯列伝)〕。ただし「秦始皇本紀」では韓談の記述はなく、趙高を殺害したのも子嬰とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓談」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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