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韓軌[かん き] 韓軌(かん き、生没年不詳)は、中国の東魏・北斉の軍人・政治家。字は百年。本貫は太安郡狄那県。 ==経歴== 高歓が晋州に駐屯したとき、召し出されて鎮城都督となった。高歓が信都で起兵するのに賛同し、従軍して爾朱兆を広阿で破った。また韓陵の陣に従い、平昌県侯に封ぜられた。中軍を率いて、爾朱兆を赤谼嶺で破った。泰州刺史に任じられて、国境の地方を安定させた。高歓が泰州に巡回したとき、韓軌を呼び戻すべく、泰州の城民に対し戸別に絹布2匹ずつを与えてなだめた。泰州の田昭ら7000戸はみな固辞して受け取らず、韓軌を留任させるよう請願した。高歓は感嘆して、韓軌を留任させることとした。韓軌はその後も軍功が多く、安徳郡公に進んだ。瀛州刺史に転じ、瀛州で収奪したとの御史の弾劾を受けて、官爵を削られた。まもなく安徳郡公に復帰した。中書令・司徒を歴任した。北斉が建国されると、安徳郡王に封ぜられた。韓軌の妹が高歓の夫人となり、上党王高渙を生んだため、北斉の勲戚として尊重された。しかしかれ自身の態度はいつも恭謙で、富貴に驕ることがなかったとされる。後に大司馬に任じられた。文宣帝による柔然に対する征戦に従軍し、軍中で急病のため死去した。黄鉞を仮され、太宰・太師の位を追贈され、諡を肅武といった。 子の韓晋明が後を嗣ぎ、武平の末年に尚書左僕射に上った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓軌」の詳細全文を読む
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