|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 釜 : [かま] 【名詞】 1. iron pot 2. kettle ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
関釜フェリー株式会社(かんぷフェリー)は、山口県下関市東大和町に本社を置く日本の海運会社である。SHKライングループに属する。 同市と大韓民国(韓国)・釜山広域市との海路を結ぶ定期フェリーを運航しており、韓国側のパートナーである釜関フェリーとの共同運航により夜行便を毎日一往復運航している。 == 歴史 == 下関と釜山との航路は、1905年に開設された関釜連絡船を起源とする。1910年の日韓併合により日本の国内路線になり、その後は日本と朝鮮、のちには大陸側の鉄道を経由して満州やヨーロッパをもつなぐ重要路線となった。しかし、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の日本の降伏に伴い、日本が朝鮮半島の統治権を失って以降、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国の成立や朝鮮戦争を経て、20年以上に渡ってこの区間の定期的な海上交通は基本的に途絶えた。 1965年(昭和40年)に、日韓基本条約が締結、発効し日韓の間で国交が成立すると、両国間の経済関係が深まるに連れて以前の関釜連絡船を復活させようという機運が高まった。1969年(昭和44年)6月21日、下関市に本社を置く関光汽船のほか、日本郵船や商船三井などの出資により運航会社である関釜フェリー株式会社を設立(資本金1億800万円)。翌1970年(昭和45年)6月、25年ぶりに両市が定期運航の海上交通で結ばれることになった。 当初は関釜フェリー1隻による隔日運航だったが、1983年(昭和58年)には韓国側の法人である釜関フェリー〔1969年に設立され、関釜フェリーの運航開始当初から釜山での関連業務を担当していた。〕 が船舶を保有・運航することにより、共同運航による毎日就航が実現した。 1988年(昭和63年)、関釜フェリーを介した日本と韓国の鉄道連絡乗車券「日韓共同きっぷ〔日本側の名称であり、韓国側の名称は「韓日共同乘車券」。''※詳しくは、日韓共同きっぷを参照。''〕」の発売を開始し、事実上の国際連絡運輸が復活した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関釜フェリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|