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須川勇 : ミニ英和和英辞書
須川勇[ゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ゆう]
 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism 

須川勇 ( リダイレクト:桂米丸 (4代目) ) : ウィキペディア日本語版
桂米丸 (4代目)[かつら よねまる]

4代目桂 米丸(かつら よねまる、1925年4月6日 - )は、神奈川県横浜市出身の落語家社団法人落語芸術協会最高顧問。本名は須川 勇(すがわ いさむ)。出囃子は『金比羅舟々』。若いころのキャッチフレーズ「ホワイトライス」。
== 来歴・人物 ==
生家は港湾荷役業の名門で、ミナト横浜の大親分・須川太助が祖父にあたる。旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園)を経て、東京都立化学工専を卒業。都立化学工専は幾度かの改称を経て、1949年の学制改革により他の(旧制)都立高校、(旧制)都立専門学校とともに新制の東京都立大学(現:首都大学東京)の母体となる。
1946年(昭和21年)4月、芝居関係の仕事をしていた兄の勧めで、9代目柳亭芝楽の紹介〔『笑いの引き出し』22-27頁〕を介し、5代目古今亭今輔に入門。古今亭今児の名を貰うが、師匠・今輔の方針で寄席での前座修業は一切やらされなかった〔米丸自身は普通通り前座を経験することを希望したが、今輔は「(前座修業で学ぶ)着物のたたみ方などは、師匠を尊敬していればすぐにできるようになる」とまで言ったという。『笑いの引き出し』55-57頁〕。1947年(昭和22年)1月二つ目付き出しで寄席の高座に上がる。
1949年(昭和24年)4月、師匠・今輔の前名桂米丸を襲名し、真打昇進。1976年(昭和51年)12月の師匠・今輔死去に伴い、翌1977年(昭和52年)、日本芸術協会(現:落語芸術協会)(芸協)3代目会長就任。1999年(平成11年)、会長職を師匠・今輔の弟弟子10代目桂文治に譲り、顧問就任。2002年(平成14年)、最高顧問就任。
「お婆さんの今輔」と呼ばれた新作落語派の師匠・今輔に入門し、現在までその流れを汲む新作落語一筋の落語家である。前述のとおりデビュー以来の新作派のためか、弟子の芸にも同世代の噺家と比較すると寛容であったとされ、桂米助がヨネスケに改名したことや桂竹丸が前座時代からテレビ番組に出演するなど、当時としては型破りな言動に出ても許容している。一方では礼節や筋目には固執するところがあり、芸協会長時代、席亭との意見対立で上野鈴本演芸場から撤退したことなどは師匠譲りの頑固者故と囁かれた。
家電製品好きで知られ、まだそれほど普及していない早い時期からビデオカメラを取り入れ、弟子の稽古、初舞台の模様などを撮影していた。
2008年(平成20年)5月に古今亭寿輔の弟子が真打昇進し、6代目今輔を襲名したが、彼の真打昇進時に「特定の落語家のみを祝うわけではない」と念を押しつつも、師匠の名跡・今輔が復活したことに感慨を覚えていると発言している。総領弟子で現在の芸協会長である桂歌丸が現在司会を務める日テレ笑点』で真打昇進披露口上が行われた際にも、同様の発言を行った上で、手締めの音頭をとった。
2015年には落語家として4代目古今亭志ん好以来となる90歳を迎えており、この時点で東西落語界併せて最年長の噺家である(ただし入門順では4代目金馬が最長老にあたる)。現在も寄席を中心に活動を続けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂米丸 (4代目)」の詳細全文を読む




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