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ダニイル須川長之助( - すがわ ちょうのすけ、1842年 - 1925年2月24日)は植物学者カール・ヨハン・マキシモヴィッチの協力者。正教徒であり、ダニイルは聖名。 == 略歴 == *1842年 - 陸中国紫波郡下松本村(現岩手県紫波郡紫波町下松本字元次)に生まれる。 *1860年 - 函館に移住。職を転々とする。 *1861年 - カール・ヨハン・マキシモヴィッチの下で掃除夫兼風呂番として働くこととなる。これがきっかけとなり、マキシモヴィッチから信頼を得た須川は、その後日本全国を旅して、植物標本採集をマキシモヴィッチに代わり行った。 *1864年 - マキシモヴィッチのロシア帰国。この後も須川はマキシモヴィッチからの依頼により、標本を送り続ける。 *1877年 - 函館でアナトリイ神父から正教の洗礼を受け、聖名をダニイルとして正教徒となる。 *1891年 - マキシモヴィッチの永眠。これ以降には植物標本の本格的な採集旅行に出掛ける事はなくなり、農業に専念。 *1925年 - 永眠。死の直後に、日露文化交流に貢献した功績を顕彰するため、「須川長之助翁寿碑」が志和稲荷神社の社頭に建立され除幕される(紫波町城山公園にも碑が立てられている〔出典:須川町之助の碑 〕)。 *1978年 - 紫波町名誉町民。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「須川長之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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