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須永好 : ウィキペディア日本語版
須永好[すなが こう]










元衆議院議員 須永好
生年1894年
出身地群馬県太田市
前職政治団体役員
役職日本農民組合組合長
世襲の有無なし
当選回数2回
所属党派社会大衆党
趣味タバコ

須永 好(すなが こう、1894年6月13日 - 1946年9月11日)は、日本の農民運動家。元衆議院議員香川県の「伏石事件」、新潟県の「木崎争議」とともに日本三大小作争議の1つとして有名な「強戸争議」を主導した。
群馬県新田郡成塚村(現太田市)出身。太田中学を中退し、農業に従事。1920年に近隣の強戸村で小作人組合(農民組合)を結成し、小作争議を指導。1922年から1924年にかけ、農会村議会の多数派更には村長までも組合側から送り出す「無産強戸村」の成立にまで至った。
この強戸争議を機縁として日本農民組合に参加し、1937年総選挙社会大衆党公認で立候補して当選する。その後、農民組合が全国農民組合大日本農民組合農地制度改革同盟と戦時体制色を濃くしていく中、新体制運動とは距離を置く。1942年翼賛選挙では非推薦で立候補したが、落選する。
戦後日本社会党の結成に参加し、中央執行委員に就任。また、戦前の農民組合が大同団結して日本農民組合を結成すると、初代の組合長となる。1946年総選挙で国政に復帰するが、議員在職中の同年9月10日、農地制度改革案に関する代表質問中に倒れ、翌日に急死した〔農民運動家 須永 好 (太田市)〕。
子息の須永城次は太田市議会議員を歴任している。社会党衆院議員だった須永徹は孫に当たる。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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