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須藤 大輔(すどう だいすけ、1977年4月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。プロピアニストの須藤千晴は妹。 == 来歴 == 甲府のマッチデープログラム「ヴァンすぽ!」7号(2003年5月17日発行)のインタビューコーナーで小学2年生でサッカーを始め、小学5、6年生の頃サッカー選手を目指そうと考えたと答えている。 桐光学園高校では中村俊輔の1年先輩にあたる。高校1年次で桐光学園高校初となる全国高等学校サッカー選手権大会(第72回大会)出場に導き、3回戦で奥大介が中心の神戸弘陵高校にPK戦の末敗れる。翌年のインターハイでは桐光学園初のベスト16。2年生の中村俊輔が頭角を現し始めた高校3年次の高校サッカー選手権(第74回大会)では、予選で負った怪我が完治せず途中交代。1回戦でその年のベスト4となる3年山下芳輝、小島宏美、2年古賀正紘、1年本山雅志を擁した東福岡高校に後半ロスタイムのPKを許し1-2で敗退。 2005年は、スーパーサブとして活躍。特に第42節 対コンサドーレ札幌戦では後半ロスタイムに甲府が奪った3得点のち2得点を決めた(2005年J2最終節を参照)。 2007年のヤマザキナビスコカップでは、準々決勝の川崎フロンターレ戦で第1戦 3得点・第2戦 2得点をたたき出し、その年の大会得点王(6得点)に輝いた。J1リーグ戦でのベストプレーは、ホーム小瀬対柏戦でポストプレー、アシストで活躍し、逆転勝利に貢献した。専門誌でもこの試合の須藤のプレーは高く評価された。 2008年にヴィッセル神戸へ移籍したが、股関節痛に悩まされ、ほぼ1シーズンをリハビリに費やしたが、2009年のホーム開幕戦で前所属の甲府での、2007年9月以来のスタメンに抜擢され、後半開始早々にループシュートを決め、自身J1では1年7ヶ月ぶりにゴールを決めた。しかし3月以降は怪我などで構想からはずれ、シーズン後戦力外となった。 2010年7月、東海社会人リーグ1部の藤枝MYFCに加入。同年限りで現役引退。 2011年4月、山梨学院大学サッカー部のコーチに就任〔山梨学院大学サッカー部コーチに就任 指導の夢は大学出身Jリーガーの育成 - 山梨学院パブリシティセンター(2011年4月7日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「須藤大輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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