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須貝 彦三(すがい ひこぞう、1941年2月10日 - )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教師。息子は須貝尚介(元騎手、調教師)、弟は須貝四郎(元騎手、元評論家)である。 == 来歴 == 1956年に阪神・橋田俊三厩舎所属の騎手見習いとなる。1959年、同厩舎より騎手デビューした。初騎乗は3月7日で、チエスタアに騎乗し3着、4月26日にタマチエリに騎乗して初勝利を挙げる。1962年、阪神大賞典をモトイチで制し、重賞初勝利を挙げる。 1973年、天皇賞(春)をタイテエムで制し、八大競走初勝利を挙げたが、翌1974年に調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は、JRA通算2782戦304勝(うち障害11勝、重賞6勝)であった。 1976年に厩舎を開業し、初出走は3月14日、阪神競馬場第9競走のカレントビクトリーで5着だった。初勝利は4月20日、京都競馬場第6競走のファンドリナイロで、のべ10頭目だった。 翌1977年には、初勝利を挙げたファンドリナイロが京都大障害(春)を制し、重賞初勝利を挙げ、1982年には有馬記念をヒカリデユールが制し、八大競走初勝利を挙げる。同馬は優駿賞を受賞した。 1985年に息子の尚介が騎手デビューした。1992年の阪急杯を尚介騎乗のホクセイシプレーで勝っている。 2011年2月28日をもって定年により引退した。調教師成績はJRA通算7179戦506勝だった。引退後は調理師免許を取得し、函館で板前となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「須貝彦三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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