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領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で元騎手。鹿児島県出身。 1963年に中央競馬で騎手デビューし、引退する1980年までに重賞6勝を含む296勝を挙げた。1981年より調教師として開業。主な管理馬に1995年の桜花賞優勝馬ワンダーパヒューム、2008年の朝日杯フューチュリティステークス優勝馬セイウンワンダーなどがいる。 次女はタレント、競馬評論家の領家華子である。 == 経歴 == 1943年、鹿児島県曽於郡大崎町に農家の次男として生まれる〔木村(1997)pp.244-245〕。少年時代から農耕馬に親しみ、当初は将来に獣医師を志していた〔。しかし中央競馬の田中良平厩舎を退職し帰郷した元厩務員と知り合ったことで目標を騎手に改め〔『優駿』1995年10月号、p.79〕、中学校卒業後に阪神競馬場・田中好雄(田中良平の父)厩舎に騎手見習いとして入門した〔。領家は騎手としては大柄で、周囲からは「帰った方がいい」、「厩務員になれ」などと勧められたという〔。 1963年、騎手としてデビュー。騎乗数は多くなかったが〔、1968年にヒカリオーでシンザン記念を制し重賞初勝利。以後も散発的ながら重賞勝利を重ね、1977年にはNHK杯を含む4連勝の成績を挙げたコーヨーチカラと共に初めて東京優駿(日本ダービー)に臨み、3番人気に支持された(結果は15着)。この頃より騎乗数が減り始めたことから調教師への転身を考え、引退勧告の目安となる60回騎乗した後は受験勉強に集中するという生活を始める〔木村(1997)pp.247-248〕。1980年、2度目の受験で調教師免許を取得し、騎手を引退。通算2586戦296勝、うち重賞6勝。 1981年6月、廃業した中村武志の管理馬を引き継いで厩舎を開業〔。同年8月1日にサンクレーイで調教師として初勝利を挙げた。1983年、抽籤馬のラブリースターで金鯱賞を制し、調教師としての重賞初勝利。以後しばらく重賞からは遠ざかったが、勝利数では1988年に全国4位(関西3位)の34勝を挙げ優秀調教師賞を初受賞。以後も1990年に29勝で全国7位(関西3位)、1991年には33勝で全国8位(関西7位)といった安定した成績を挙げた。1995年、ラブリースターの仔・ワンダーパヒュームが桜花賞を制し、12年ぶりの重賞勝利を挙げると共にGI競走初制覇を果たした。同年、自己最高の40勝を挙げて2度目の優秀調教師賞を受賞。以後も勝利数では上位の成績を続けた。 2008年、JRA育成馬のセイウンワンダーで朝日杯フューチュリティステークスを制し、13年ぶりにGI級(JpnI)競走で優勝を果たした。また、同年よりビービーガルダンが短距離路線を賑わせ、翌年から重賞2勝を挙げたほか、スプリンターズステークス(2009年)と高松宮記念(2010年)という秋春の短距離GI競走でいずれもハナ差の2着という珍しい記録を作った。特に前者では、勝ったローレルゲレイロと1cmという非常な僅差であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「領家政蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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