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頴娃久音[えい ひさぶえ] 頴娃 久音(えい ひさぶえ、天正11年(1583年) - 慶長3年10月8日(1598年11月6日))は安土桃山時代の薩摩国島津氏の家臣。頴娃氏の8代当主。幼名は袈裟寿、通称は弥三郎。父は頴娃久虎。母は相原氏の娘。 頴娃久虎の嫡男として誕生するが、5歳のときに父が死去する。また、父の久虎は、久音が生まれる前に伊集院忠棟の子・千寿丸(詳細不明)を自らの養子とする約束をしていたが、久音が生まれたため反故にしており、忠棟がこれを主君・島津義久に讒訴したことから、久虎の死後に頴娃(現・鹿児島県南九州市)・指宿・山川(以上、現・鹿児島県指宿市)の三箇所が召し上げられた。 翌天正16年(1588年)久音には新恩地として谷山(現・鹿児島市)のうち30町が与えられ、文禄2年(1593年)には伊集院(現・鹿児島県日置市)のうち西俣の地が与えられた。 慶長2年(1597年)慶長の役に従軍し朝鮮国へ渡海していた折、島津義弘より無事に帰国を果たした際は本領である頴娃を返還する旨を約束されていたが、翌年に朝鮮国にて病死した。享年16。法名は「一栄宗麟居士」。名跡は島津義虎の五男・忠富(後に頴娃久秀、更に入来院重高)が継いだ。 ==参考文献==
*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「頴娃久音」の詳細全文を読む
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