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白川顕広王(しらかわ・あきひろおう、嘉保2年(1095年) - 治承4年7月19日(1180年8月18日))は、平安時代の貴族。顕康王の子。白川伯家の祖で、神祇伯世襲の初。 == 経歴 == 父顕康王は源顕房の猶子となり、源氏を称した。顕広王も当初は源氏を称したが、のちに王に復帰した。康治元年には正親正従五位下であったことが見える。長寛3年(1165年)1月24日神祇伯となり、以後白川伯王家が神祇伯を世襲することとなった。仁安元年、正五位下となる。安元2年(1176年)12月、神祇伯を子の仲資王に譲った。 治承4年(1180年)7月19日、86歳で薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白川顕広王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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