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顕恭皇后(けんきょうこうごう、1084年 - 1108年11月8日)は、北宋徽宗の皇后で欽宗の母。姓は王氏。諡は初め静和であった。 == 生涯 == 開封で徳州刺史王藻の娘として生まれた。元符2年(1099年)6月、端王趙佶(のちの徽宗)に嫁ぎ、順国夫人に封ぜられた。端王が皇帝に即位後、皇后に立てられた。趙桓(欽宗)と趙金奴(栄徳帝姫)を産んだ。 徽宗は王皇后をあまり寵愛せず、鄭貴妃(後に皇后となった)とを寵愛し、皇后は彼女らと等しく扱われた。大観2年9月26日(1108年11月8日、立冬)、崩じた。徽宗の父神宗の永裕陵に従葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顕恭皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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