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願証寺(がんしょうじ)は伊勢国桑名郡長島にあった浄土真宗の寺院。願證寺とも表記される。 == 歴史 == === 創建と発展 === 本願寺8世蓮如の6男蓮淳により、少なくとも明応10年(1492年)までに、香取庄中郷杉江の地に創建された〔「本法寺由緒書」所収親鸞画像裏書写による(金龍 2004, 253頁)。〕。あるいは、法泉寺(現・桑名市多度町香取)を開いた信慶の次男信祐により、文永元年(1264年)に開山され、願証寺の号は本願寺3世覚如より与えられたともいわれる〔『日本名刹大事典』 113 - 114頁〕。なお、当初の願証寺主は法泉寺主が兼帯しており〔『長島町史』 30頁〕、蓮淳は空誓(法泉寺7世)の娘を室とする願証寺の堯恵から寺を譲られたという伝承がある〔天保三年長嶋山願証寺略縁起による(金龍 2004, 254頁)〕。また堯恵に子が無かったため、空誓らの請願によって蓮淳を堯恵の養子に迎えたとも伝わり、〔蓮淳の入寺は明応6年(1497年)ともされる〔。 蓮淳は本願寺9世実如・10世証如に近侍し、長島への常住ができなかったため、永正8年(1511年)9月頃までには、蓮淳の次男実恵が常住するようになったと見られる〔「本法寺由緒書」所収裏書写による(金龍 2004, 254頁)〕。そして、天文3年(1534年)までは伊勢、以降は美濃・尾張を加えた東海三ヶ国の本願寺門末を支配するようになった〔金龍 2004, 256頁〕。また、蓮淳が証如の外祖父でもあったことから、本願寺教団中枢においても重きをなした〔 〕。2世実恵は天文5年5月4日(1536年5月23日)に死去した〔金龍 2004, 254頁〕が、その翌年までに寺は中郷杉江から長島城に近い南郷西外面付近へ移転した〔金龍 2004, 255頁〕。 永禄3年(1560年)、3世証恵の代には、前年に顕如が准門跡に補されたことに伴い、多数の本願寺一門衆に先駆けて、河内顕証寺、播磨本徳寺とともに、院家を勅許された〔金龍 2004, 269頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「願証寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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