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顧 徽(こ き、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は子歎(したん)〔中国『三国志全人名事典』、P110〕。 == 生涯 == 呉の丞相顧雍の母方の叔父にあたる。孫権に召し出されて主簿となる。その後も輔義都尉など要職を歴任した。曹操が江南に攻め入るという情報が入った際には、孫権の命令で曹操の内情を調査するために使者として派遣され、交渉の席で曹操に高く評価された〔。帰国後に巴東太守となるが、間もなく急死した〔。 一説に顧雍の弟とする説もある。子に顧裕がおり鎮東将軍となっている。顧雍の次男にも同姓同名の顧裕(顧穆)がおり、こちらは宜都太守となっている〔中国『三国志全人名事典』、P111〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顧徽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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