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顧 忠琛(こ ちゅうちん)は清末民初の軍人・政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。 == 事跡 == 清末に安慶(安徽)武備学堂監督をつとめた。しかし、学生の柏文蔚らが中国同盟会に参加したため、顧忠琛は清朝に猜疑されて、南京の閑職に左遷された。 辛亥革命に際しては、顧忠琛は江浙聯軍総参議として革命派に加わった。1924年(民国13年)5月、孫文(孫中山)の下で北伐討賊軍第4軍軍長に任命されている。 1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府において監察院副院長に任命された。1944年(民国33年)11月、立法院長に転じた梁鴻志の後任として監察院院長に昇格している。 日本敗北直前の1945年(民国34年)7月31日、死去。享年86。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顧忠チン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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