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顧 承(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は子直(しちょく)〔中国『三国志全人名事典』、P110〕。 == 生涯 == 孫権に丞相として仕えた顧雍の長男顧邵の子〔。兄に顧譚がいる〔〔中国『三国志全人名事典』、P111〕。妻は張温の妹。騎都尉・呉郡西部都尉などを務め、山越討伐の戦功により昭儀中郎将、さらに侍中・奮威将軍を歴任した〔。 しかし孫権の後継者をめぐって二宮の変が起きると孫和を支持する派閥についた。このため兄が孫権に対して長幼の序を説いて孫覇への寵愛を批判して讒言により交州に流罪になると、連座して流罪となり、37歳で死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顧承」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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