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顧邵[こ しょう] 顧 邵(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は孝則(こうそく)〔中国『三国志全人名事典』、P110〕。父は孫権に丞相として仕えた顧雍〔。子は顧譚〔中国『三国志全人名事典』、P111〕・顧承〔。妻は陸遜の姉妹の陸氏・孫策の娘〔の孫氏の2名が判明している。 == 生涯 == 少年の頃から博識で知られ、母の兄弟の陸績と名声を等しくし、陸遜・張敦・卜静よりも名声が勝ると評価された。 周瑜が病死した後、龐統が呉に周瑜の棺桶を届け喪を弔いに来た。顧邵は陸績・全琮らと共に龐統と親交を結び、龐統から 『駑牛能負重致遠(足が遅いが力のある牛)』と評価された。 27歳で孫鄰の後任として予章郡の太守となった〔。殷礼・吾粲・張秉・丁諝ら多くの人材を見出して孫権に推挙するが、太守に任命されてから5年後に33歳で予章で死んだという〔。死後、顧譚が爵位を継いだ。
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