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風祭 ゆき(かざまつり ゆき、1953年8月15日 - )は、日本の女優。本名は長谷部 さより(旧姓・吉田)。東京都出身。夫は作曲家の長谷部徹。 日活ロマンポルノの黄金期を支えた女優の1人。その後、一般映画やテレビ、舞台に活動の場を広げ、演技派女優として活躍している。三輪事務所所属。 == 来歴 == 東京都立戸山高等学校卒業。武蔵野音楽大学声楽科卒業。 1974年(昭和49年)、NET『非情のライセンス』(天知茂主演)に、吉田さより名義でテレビドラマデビュー。 1977年(昭和52年)、新藤兼人監督の映画『竹山ひとり旅』で映画デビュー。しばらくは本名での活動が続く。 日活からポルノ映画の出演を頼まれたが1年間拒否。しかし大島渚監督に説得されてポルノ女優になることを決意した。 1980年(昭和55年)、風祭ゆきとして、ロマンポルノ作品『赤い通り雨』で主演デビュー。 以来、スレンダーな肉体と知的な美貌を活かして、主演として『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980年)、『女教師 汚れた放課後』(1981年)、『美姉妹 犯す』(1982年)、『恥辱の部屋』(1982年)、『性的犯罪』(1983年)など、また助演として『後から前から』(1980年)、『犯され志願』(1982年)、『マダムスキャンダル 10秒死なせて』(1982年)、『暗室』(1983年)、『武蔵野心中』(1983年)など、佳作、名作に多数出演した。小原宏裕、小沼勝、西村昭五郎といったロマンポルノの「巨匠」たちの作品ばかりでなく、中原俊、崔洋一など、のちに第一線の映画監督となった人たちの初期作品に出演していることも注目される。 なお、ロマンポルノ出演時には大島渚関係のプロダクションに所属しており、悩んでいた彼女に対して大島は「ああいう仕事って言うのは、女優っていう者が如何に肉体労働者であるかっていう事を実感する、その最たるものなんだから、軽く考えて、体操だと思ってやってきなさい。なにより、1本の映画を背負う主役をやるということは、1度は経験しなきゃね。鶏口となるも、牛後となるなかれ、ですよ。」と後押ししたという。2001年(平成13年)のトークショウで風祭自身が回顧している。 一方、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『伊賀忍法帖』(1982年)、『十階のモスキート』(1983年)などの一般映画や、『刑事ヨロシク』(1982年)、『波の盆』(1983年)といったテレビドラマへの出演も続け、女優としての幅を広げていく。 ロマンポルノ終焉の年の佳作『ラスト・キャバレー』(1988年)への出演を最後に、一般映画、テレビ、オリジナルビデオ、さらには舞台へと活動の場を移し、演技派の美人女優としての地位を固めた。 2000年(平成12年)には、ロマンポルノをめぐるドキュメンタリー作品『サディスティック&マゾヒスティック』に、また2003年(平成15年)には、クエンティン・タランティーノ監督に請われて『キル・ビル』に出演している。 スクリーンでのイメージとは別に、車の運転(レーサー志望であった)やクレー射撃、カメラなど、男っぽい遊びが好きで、またMacやWindowsのスキルが高く、女優仲間や映画監督の家にパソコンを教えに行ったり、インターネットやLANの設定をしたり、ウェブサイト作成をしたりという一面がある。自動車関連団体のウェブページの作成・管理もしている。近年は愛犬(犬種はボルゾイ)を連れて各地のドッグショーに参戦している。 近況は、ウェブサイト「こんにちわ 風祭ゆきです」、ブログ「風祭ゆき オフィシャルブログ『風祭日和』」、に詳しい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「風祭ゆき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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