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風納土城(ふうのうどじょう/プンナットソン)は、大韓民国(韓国)ソウル特別市松坡区風納洞にある三国時代百済前期の都城遺跡。大韓民国指定史跡第11号に指定されている(指定名称は「서울풍납동토성(서울風納洞土城)」)〔。 == 概要 == 朝鮮半島中央部、ソウル特別市南東部の漢江東岸に位置する土城の遺構である。南北に長い長方形状をなし、規模は南北約1.5キロメートル、東西約0.3キロメートル、総延長約3.5キロメートルである。土城として朝鮮半島最大規模である。西壁の大部分は漢江の洪水で消失している。土塁は2段築成で、基底部幅は約30メートル、高さは5メートルほどある。1997年から数度の発掘調査が行われている。 発掘調査によると、土城築造以前の紀元前1世紀から紀元後3世紀中頃(原三国時代)、土城域には3重環濠集落と竪穴式住居が存在していた。その後、土城は遅くとも3世紀前後には完成しており、三国時代百済前期を通じて使用された。百済時代のものとしては、祭祀に関係する大型建物の遺構や、竪穴式住居等の多数の遺構が見つかったほか、大量の百済土器・瓦・鉄器、中国南朝の陶磁器が出土している。こうした調査結果から、風納土城を中心として南方の夢村土城とともに百済の漢山城(河南慰礼城、475年陥落)を構成したとする説が有力視されている〔『概説韓国考古学』 韓国考古学会編、同成社、2013年、pp. 259-260。〕。周囲には百済王陵と見られる石村洞古墳群がある。かつては帯方郡の郡衙に比定する説もあったが、これに関連すると思われる遺構は見つかっていない。 遺構は、1963年1月21日に「広州風納里土城」として大韓民国指定史跡第11号に指定された〔。その後2011年7月28日、指定名称は「ソウル風納洞土城」に変更されている〔서울 풍납동 토성(서울 風納洞 土城) (大韓民国文化財庁)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「風納土城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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