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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 飛 : [ひ] (n) (abbr) rook (shogi) ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
「飛んでイスタンブール」(とんでイスタンブール)は、庄野真代の楽曲で、5枚目のシングルとして1978年4月1日に発売された。 == 解説 == 、シングル売上は60万枚を超える〔富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、459頁。ISBN 978-4-636-82548-0〕(80万枚とも〔読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、67頁。ISBN 4390116029。〕)。 元々は筒美京平が野口五郎のために作った曲で、野口の音域等を意識しながら完成させた作品だった〔榊ひろと『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』白夜書房 1998年、115頁。ISBN 4-89-367563-X 〕〔BSジャパン 「武田鉄矢の昭和は輝いていた」 第128回 2015年11月25日 「筒美京平」〕。しかし仕上がり具合から筒美は「この曲は野口より女性ヴォーカルの方が合ってる」と判断〔コンピレーション・アルバム『HITSTORY〜筒美京平 アルティメイトコレクション 1967〜97』解説書。1997年。〕。結局はレコード化されること無いまま、 1978年当時は昭和50年代に入ってからの円高も手伝い、日本人にとって海外旅行がようやく身近なものになっていた(若い日本人女性が海外に出始めた時期がこの頃である)。このような背景から、庄野の担当だった日本コロムビアの三野明洋ディレクター(当時)は、「無国籍なイメージの曲を」ということで筒美に作曲を依頼する〔『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』65-66頁。〕。庄野の過去の楽曲を聴いた筒美は、ストックしてあった作品がヴォーカルに合うと確信し、ちあき哲也に作詞を依頼。ちあきはメロディーに“イスタンブール”の語呂合わせを駆使した歌詞を付けてくる〔。さらに筒美はギリシャの民族楽器「ブズーキ」の使用を船山基紀に提案〔。船山はそれを基調にイントロのフレーズやオブリガートを考え、全体をエキゾチックな雰囲気の楽曲に仕上げる〔。 本作は失恋した女性のセンチメンタル・ジャーニーを描いた歌だが、歌詞の中にはトルコの最大の都市であるイスタンブール(イスタンブル)とは、地理学上全く無関係な「砂漠」が登場している。庄野は、ヒットから2年後の1980年にイスタンブールを初めて訪れたが、歌にある砂漠のエキゾチックなイメージと実際のトルコの風景がまったく違うことを知り、その時の様子をと述べている。 発表当時は日本からイスタンブールへの直行便はなかったが、1989年に日本 – トルコ間にトルコ航空便が就航(現在、成田国際空港および関西国際空港 – イスタンブール・アタテュルク国際空港間を運航)した。2015年からはトルコのフラッグキャリア、ターキッシュ・エアラインズが日本向けの宣伝に「飛んでイスタンブール、そこから飛ぶのがルール」と本作を意識したコピーを採用した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛んでイスタンブール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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