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飛騨護國神社(ひだごこくじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社(護国神社)である。 西南戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までの飛騨(高山市・飛騨市・下呂市・白川村)出身の英霊を祀る。 == 歴史 == 1879年(明治12年)4月21日、旧高山城三の丸跡地に神宮教中教院及び神道事務分局が創設され、伊勢神宮から天照皇大神の分霊を勧請して鎮座祭が執り行われ「中教院大神宮」と称した(現・飛騨大神宮の創祀)。また、祖霊殿を併設して飛騨国神道関係者、消防・警察・首長等の公務員殉職者、地域功労者(西南戦争戦歿者、飛騨工匠等)の神霊を祭祀した。1899年(明治32年)9月24日、神宮教の解散に伴い神宮奉斎会高山支部が設置され、中教院境内を「忠孝苑」と称するようになった。 1909年(明治42年)6月16日、中教院講堂を譲り受け、靖国神社から日清・日露戦争戦歿者の分霊を奉斎し、祖霊殿の祭祀神霊と合祀して私祭「飛騨招魂社」が設立された。設立者は永田吉ェ門(高山町長)ほか247名、崇敬者戸数は二万八十戸、例祭は毎年4月27日とされた。 1939年(昭和14年)4月1日に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)により「飛騨護國神社」と改称。同年11月に本殿が増築されて遷座祭が執り行われ、例祭は毎年5月3日、11月5日の春秋2回となった。第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)10月30日に「飛騨神社」と改称したが、主権回復後に元の名に復した。1959年(昭和34年)10月、飛騨護国神社奉賛会が設立〔奉賛会理事会 、忠孝苑日誌帳、2012年5月28日〕。1966年(昭和41年)12月22日に「社団法人飛騨護国神社奉賛会」が設立され(会長・高山市長)〔岐阜県教育委員会の所管に属する特例民法法人名簿(平成23年4月1日現在) 、岐阜県教育委員会〕、2012年(平成24年)には一般社団法人に移行した〔。1980年(昭和55年)4月20日に社務所及び遺品館が竣工し、現在に至る。 飛騨護國神社は、全國護國神社會に加盟する主要護国神社52社のうち、唯一内務大臣の指定を受けていない指定外護国神社である。 なお、高山にゆかりのある軍神・広瀬武夫海軍中佐は祖霊殿に祀られている(飛騨出身者ではないため護国神社には合祀されていない)。1906年(明治39年)9月27日、城山公園の中佐平(号砲平)に、広瀬中佐の銅像が建って除幕式が行われた(発起人は高山煥章学校同窓生)。第二次世界大戦中の金属類回収令(昭和16年8月30日勅令第835號)により1943年(昭和18年)に供出。1967年(昭和42年)に特別寄進者の協賛により復元されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛騨護國神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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